国際女性デーと身のうちに巣食う憤怒

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3月8日は国際女性デーだった。主に生息しているツイッターで様々な声明を出している人をまぶしく眺めながら、このジェンダーというテーマを考えると毎回、煮えたぎる怒りが湧いてきてしまい考えることを放棄することが続いている。

忘れもしない2年前の父の葬儀の時だ。葬儀社は時間外労働も当たり前のハードな職場のようだった。式の段取りや当日の進行など、女性スタッフが細々と気配りをして並走してくれた。しかし、打ち合わせの時にはふんぞりかえる中年の男性が責任者として出席した。司会もその方が実施してくれたものの、私や母に対する物言いは横柄で、一端の社会人として毎日日銭を稼いでいる身からすると、業腹な態度であった。

タクシーやお店で、タメ口で分かっていないもののように話される時に毎回感じる落胆。我々は1人の人や客ではなく、「女性」という半人前扱いされて生きていかなければならないのだと突きつけられる腹立ちをその時も感じたのだった。男性というだけで歳を取ると横柄に振舞う資格を無条件に手に入れるのだ。低い声ですごめば、どんな内容でも説得力があるものとして扱ってもらえる。

一方で、打ち合わせや葬儀に同席して一緒に過ごしていた弟は特にそうは感じなかったようだった。どう見ても女性スタッフの方が動き回っていたという私のコメントに対して、全面的に同意した上で「本当に何もしてなかったね。でも司会が男性でしっかりと締めてもらうだけで重みが違うよね。それが大事だよね。」と言い放ったのである。

愕然とした。社会人になって、どんどんとフォースの暗黒面へと隔ったってしまっているのは感じていたが、もう二度と戻らない。袂を分かってしまったのだ。そういう言い方はダメだと抗議したものの、認識の差が大きすぎてそれ以上何も言えなくなってしまった。
やっぱり男性でないとダメだ、そう言って彼らは自分たちの牙城を再生産していくのだ。あるいは、その発言は自分の妻や母や姉を貶めるものにほからならないと言い募ることはできるが、言って分かるものか甚だ疑問だった。

しかし、自分がジェンダーに対してフェアであるのか?という点については私も試練を迎えることになった。薄汚い自分自身と向き合うことになったのは、同棲相手との生活費の分担を話し合ったタイミングでである。つまり、どちらがどう生活コストを負担するのか?平等か、傾斜をかけるのか?を話し合うタイミングが約1年前にあったのだが、端的に言って、相手に多く出して欲しいという発言をしてしまい、ジェンダーフリーの覚悟のなさを持て余すことになったのだ。

普段、台所でニッコリ笑っている女性のポスターに怒り心頭し、直近ではおじいちゃんが女性は云々と五輪に絡めたボケた発言をしてそれが訂正されるものでもない世情に絶望し、夫婦別姓を選べる議論をしているはずなのに何故か女性の名字の名乗り方が批判の的になるズレた運動を目にして愕然とし、子供を生まないまま年次を重ねていくとどんどん傾いていく職場の役職の男女比に鬱々としていた。
しかしである、実際の自分はどうだったのか?話し合いの日、生活費を相手と折半するのが嫌で、多く支払ってもらいたいと思ってしまった。もちろん普段から憤慨している私の発言を聞いている相手なので、平等がいいのではないか?と指摘された。それに対しての私と言ったらモジモジしたものだった。平等が良い、でも多く支払って欲しい。こはいかに?

頭をよぎったのは2つだ。まずは自分の収入がこれ以上増えなさそうか、減ってしまいそうだったことだ。周りを見渡しても、完全折半のパートナーシップをしている友人があまりいなかった。そして、今後万が一妊娠出産をするのであれば、収入が途絶える瞬間が来るであろうことだった。つまり、どう見ても自分の方が稼げなさそうなのだ。折半しては損だ、と直感的に思ってしまった。

また、今の世の中を考えて、相手を養う気がないパートナーに不信感を抱いたというのもある。相手の頼りがいを金額の多寡で判断する考えが体の芯まで染み渡っていたのである。相手が多く出してくれている事実が自分を満足させ、そして今後の安心材料になる。
平等が良い、そのためにはリスクを自分も負わなければならぬと普段言っているのにも関わらず、心は傾斜を求めてしまったのだった。

結論が出るものでもなかったので、素直に白状することにした。相手には平等が良いが、しかし傾斜はかけて欲しいという自分の本心があるということを丁寧に説明するに至った。
矛盾しているのは百も承知で、意気地が無い自分自身はお恥ずかしいが、傾斜をかけていただきたいとお願いし、受け入れられた。
将来的には収入の比でお互いに負担することを目指して、取り急ぎ毎年およびライフイベントが起こるタイミングで負担金額を見直すことで拠出金額はお互いに腹落ちして終了した。

折半で生き抜いてやるぜ!と言いきれなかった自分自身に忸怩たる思いを抱いていたのだが、問題は自分一人では解決できないくらい大きいのだから悔しく思う暇があったら少しでもできることを活動した方がいいのではないか、ということを最近思っている。

TPAM2021で配信された福島三部作、そして直近では日本劇作家協会「戯曲デジタルアーカイブ」で長田育恵「海越えの花たち」を読んだ。歴史の流れの中で、本人たちは自覚がないところまで含めて搾取されているし、抉り取られていることに気づいていつつも当事者たちではどうにもならない大きな流れで起こるものなのだということを見せつけられた作品たちだった。

じゃあどうすれば良かったのか?どちらの作品も何度も何度も舞台上から投げかけられているように受け取ったが、観客として明確な答えを見つけられないまま、哀切なラストを痛ましく眺めることしかできなかった。
当人が選択しているように見えて、既に逆らえない道が敷かれているのだ。

もっと大きな構造に自覚的になるべきなのだという見地を与えられたと思う。もちろん、被災者の方や半島に残った方々と比べるべくもなく恵まれている。
しかし、この身に渦巻く憤怒と、甘えと、レプリカのような平等感を肯定して抗議の声を上げることから始めねばならぬのだ。

長いものに巻かれて、穏やかな物言いしかしてこなかった。過激と思われないのか?主張をする際の不安は纏い付くものだ。でも、枠組みをぶち壊したいなら、外から中から揺すらなければ。