思考のメモリが少ないと、ミニマリズムで生きていくことになる

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片付けができない。複数のものをざっくりとカテゴライズして、整理することが極めて苦手だ。
おそらく1度に認識できる物事の量がごく少ないことに起因していると思われる。2つ、3つのものを見てはいても把握はできない。

思考のスロットが1つしかないのだと思う。ロケット鉛筆のように、何かに着目すると前のものが押し出されてどっかへ行くのだ。

自分のこの性質を自覚したのはここ数年のことである。パソコンで文章を打っていると気づくと数時間経過しているのは知っていた。1つのものを手にとると他のものは意識の外に消えてしまうことも体感していた。

しかし、ふと実は人の話を聞いているときは表情を読み取ってない・・・のではないかと気付いた時に、ほとほとこの特性を実感したのだ。そもそも人が発言している内容と、全く別のところに意図が存在するとはっきり認知したのもここ5年ほどのことになる。

話の内容に着目すると、相手の話すトーンや表情、周囲の状況への注意が抜け落ちる。だから、機嫌を察したり、意図を汲み取ったり、はたまた複数人で楽しく雑談する時の会話ラリーに参加したりにどうしても気遅れが生じるのだろう。

目的が曖昧になればなるほど、聞いてはいるが飲み込めていはいないのだ。

だって、自分が人の話を理解できていないかもしれない、話聞いている間相手の表情を目に映していても頭に入ってきていないかもしれない、なんて思いもしないではないか。自身以外のアバターに乗ったことがないのだから、みんなこんな感じだろうと思って生きてきた。

会話相手の外見についてとても気にする友人を長年不可解に思っていたが、話している時の相手の外見や、周囲からどう見られているかに向ける認知力の差なども影響しているのだろうかと最近は考えている。
美醜の概念とは別に、本人が状況先行か、話す内容先行かの資質によっても相手に感じるものが異なるのだろう。

自己肯定感をしっとりと削っていく色々なことが、もしかして同源なのでは?とふに落ちたのも近頃のことである。書籍を読んで知識をつけるうちに、周囲で起こってしまうことがひとつながりになってきた。ワンピースだ。

いわゆるADHDと呼称される特徴に該当が多いのだが、生活に支障が発生するかどうかはサポートを得られるか、向いている作業ができるか、などの環境に大いに左右されるのであまりその呼び名に意味はないと思っている。

個別事象と影響の積み重ねで、地道に対策を講じて改善するしかないからだ。

例えば、手がお空になってしまう対策について。
コーヒーを手に持ちながら入館証や定期を鞄から探している最中で、カップを落として中身をぶちまけたのは1度や2度ではない。映画のチケットから、切符、マフラー、財布、ジムの靴まで手に持っていたありとあらゆるものが、次の瞬間には自分の手元から消え失せてしまう。
劇場があるよく行く建物の落とし物センターにも何度足を運んだか分からない。

手荷物は1つにまとめる。チケット類はカードケースにしまってから歩き出す。コーヒーは手提げ袋ももらうか、入館証を首にかけてから手に持つ。傘は折りたたみにして必ずカバンにかける。複数の手荷物になる時は、取手を結んで1つの荷物になるようにする。筆記具やハンカチ、メガネ、お金、薬は全てのカバンに予め予備を入れておく。
などなど、失敗を元に戦法を都度改善することで、平和な日常は取り戻せる。

また、電車の乗り過ごしも多い。スマホや本に没頭していて、随分な距離を乗り過ごすこともしばしばである。大事な用事の日や乗り慣れていない路線は座席に座らないで、ドアの近くで何もしないで立っていることで、乗り過ごしを予防することができる。

ありのままに生きていると不注意なのだが、片付けができないのも同根であるなぁと直近ではしみじみ思っている。
いや、しみじみしていても部屋が綺麗になるわけではないのだけど。

複数の大きさや形、用途、使うタイミングなどがバラけているものを視認していても、同時に把握することができない。だから仕分けて収納するという、整理整頓ができない。
書類やファイル、ノートなども全てまとめて日付順に綴っていくが精一杯だ。

長らく汚部屋の住人だったが、断捨離を繰り返すことで大丈夫になってきた。思考のスロットが少ないと、管理できるものの量が極小なので、ミニマリストにならざるを得ない。

多様なオシャレ部屋は諦めて、ホテルライクを目指す方が身の丈に合っている。所有物が少なければ、散らかるにも程度が知れているからだ。
おすすめはどんなに小さくてもいいので、思いついたときに1日10個ものを捨てることだ。整理しながら、分別しながら捨てるなんて高等なことはできる訳がない。とにかく目についたものを片っ端からゴミ袋に突っ込むのである。

部屋作りのポイントは、住所を決めて1工程で作業が完結できることだ。特にあちこちにお出かけ度NO1の服について述べたい。
具体的には服をたたむ作業など、しまう前に起こる工程を省くことで、最低限の散らかりですますことができる。
当該シーズンの衣類は畳むことはせず、全てハンガーにかける。下着はたたまずに1つの引き出しにぶち込み、靴下やハンカチなどは外出の前に身につける引き出しを作って放り込む。
場所に余裕があるなら、平置きの箱だとなお良かった。フタ?きっとそれはおいしい物なんでしょうね。

夏服や冬服などシーズンが限られる服は1つの箱にまとめて収める。夏には夏印の箱を開けてハンガーに全てかけて、秋になるとしまって、冬には冬印の箱を開けてハンガーに全てかけて、春にしまうのだ。
もちろん、春と秋の服は通年かけっぱなしである。春と秋では着るものが異なる?服をハンガーにかけるだけで力尽きる当方には、そんな季節感を演出する余力は無いのだ。

アクセサリーも、小さく小部屋が別れた100均のワントレーへ全て収納して、靴下とヒートテックと一緒の外出準備用の引き出しに入れている。装飾品をディスプレイするのはあつもりの中だけだ。

また、収納の余力も大切だ。引き出しやクローゼットなどは上限5割程度にして、すかすかにしておくことだ。
きっちりと仕切ってたっぷりと引き出しに仕舞い込むなどは、管理能力のある上級民の収納の使い方なのである。隙間からワンアクションでねじ込んで入れることができないと、途端に物が溢れ出てくる。

引き出しを開けて、隙間を確認して、形を合わせて入れ込むなんて複数工程はできやしないのだから、引き出しの中は綺麗に仕切るのは、将来の乱れた姿を見る悲しみを生むだけの作業になる。
恐れずに最初から全てをぐちゃっとぶっこむのだ。

そのためにも服の絶対数を削減する必要がある。
週に何度も出動する1軍だけで構成するのは必須だ。2軍や3軍を養うスペースは当方には夢のまた夢なのである。
寝巻きは2組、下着は5日分、仕事着は上3〜5着、下3着ほどを各シーズンごと、休日の服は仕事着プラスデニムとパーカー、運動着は引き出し1つ分まで、、、と枠組みを最低限まで減らせれば、あとは1つ購入するごとに、1つ捨てれば維持が容易だ。
一気に減らすのはもったいなくて難しいので、5年くらいかけて気長にスリムアップしてきた。ユニクロなどの便利で買いやすい物をうっかり買い足さないことが重要なポイントだ。使える服は捨てられなくなる。

学んだのは、まずは物を購入しないことこそが一番の断捨離への近道だと言うことだ。
買う前に断捨離を繰り返す方が、有用な物を捨てるよりも心のダメージが小さい。

家具も、小物も、道具類も、食器類も、、、同様の工程を経て、どんどんとシュリンクさせていくと次第に家の中の物の量が自分の管理下に納められるようになってきた。

思考メモリが小さい者なりに、工夫すればすっきりの家を保てるようになるのだ。物が少ないと家の中の情報量が少なく、そして選択肢の幅も小さいので、思考リソースが割かれなくて済む。
パラ作業がしんどい勢にはありがたい環境なのである。

余談だが、様々な形のものを判断しながら作業する家事である、洗濯物干しや取り込み、皿洗いも不得手だ。暮らしていく上で避けては通れないので、自然と対応しやすい形に進化した。手順の分割である。

まず同じ形のものに仕分けて、次に干したり、取り込んだり、洗ったりという工程にして、2段階に分けて対応している。
結果的に、洗濯物を一度全部ぶちまけて広げて、形を分ける仕事が入る。また、取り込む際には干したものを手に持ったら、収納先の引き出しごとに都度納めに行く。部屋を何度も部屋を往復することになる。
手順が倍になるのだが、洗濯の山から取り出して干したり、取り込んだりするよりもなぜか時間がかからず楽だ。人体の不思議である。