【ロンドン2024_4】The Invention of Love 〜小劇場演劇への感動と、萌え

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前日2024/12/25にロンドン入りし、1本目に、サイモン・ラッセルビール主演、トム・ストッパード脚本のThe Invention of Loveを観た。

クリスマス休暇明けマチネでドキドキしていたが、無事サイモン・ラッセルビールを近くで拝めたのだった。

本場ロンドンでの小劇場演劇だったこと、そして冴えない男のちょっと上手くいかない人生の話という自分の好みの話だったこともあり、大変幸せな時間を過ごせたのだった。

▷公式サイト

▷ガーディアン紙の批評(舞台写真が見られる)

あらすじ

詩人であり学者でもある A.E. ハウスマンの生涯をテーマにした作品。

オックスフォード同窓のモーゼス・ジャクソンへの秘めたる思いと、彼の専攻である文献学やビクトリア朝時代の同性愛に関する議論を織り交ぜながら、彼の人生を振り返っていく。

死後のハウスマンが三途の川を渡っていく途中で、彼の青春のシーンや関係者のトークが差し込まれる走馬灯のような構成となっていた。

要所に死後のハウスマンと、若かりし頃のハウスマンの会話シーンがあり、人生の再解釈が行われていく。

予習が大変

同じトム・ストッパード脚本の「レオポルド・シュタット」で登場する「同じ直方体の辺上にあるかぎり、3点の間の距離合計は変わらない」という親族に関する暗喩の会話があるが、その会話部分がずーーーっと続く感じだった。

示唆に富んで知的に面白いのだが、英語が、、、英語が難しかった、、、

日本語訳がない上に、脚本のテーマの1つが文献学なので、ラテン語も登場するし、あああ・・・

主にうんちくパートと、情動パートに分かれており、翻訳アプリに頼りながら後者を押さえておいたので何とかなった、と思いたい。

極東の有色人種の女が、オックスフォードことボーイズクラブの頂点の話の何を楽しむのだろう?と我に返ってしまう瞬間も多いが、まぁそれは他の作品も少なからずそうで…自費で楽しみに行くのは自由なので…ゲフンゲフン。

一途な片思いと、文献学を志した理由

結局ハウスマンは、同窓のモーゼス・ジャクソンにずっと数十年片思いをしており、想いを明かしても本気で取り合ってもらえず、彼がラテン語の文献学を志したのも、訳詩を伝える彼に愛を囁くことができたから(スポーツマンで脳筋のジャクソンの勉強やラブレターのゴーストライターを引き受けている)というのが、示されていく。

一途〜〜!創作物のファンタジー一途最高〜フ〜〜!

冒頭からちょびちょびは示されているのだが、後半はガッツリ愛を告白していく。

脚本を読んでいて、ラスト直前は思わず涙が出てしまった。尊い、切ない、合掌。

さわやか真摯ジャクソン

陰キャのハウスマンが、モテそうなジャクソンを好きになってしまうという脚本内容がいかにもオタクっぽい。トム・ストッパードの人間観察眼とキャラ作りよ・・・(遠い目。

この作品の感情的な肝は、「ハウスマンがジャクソンに何十年も報われない恋をして、人生を捧げている」という部分なので、ジャクソンをどう描くのは個人的に注目していた。

セリフだけ見ていると、チャラ男にも真面目男にも描けるようになっており、振り幅が大きかった。

BEN LLOYD-HUGHESのジャクソンは、真面目さわやか系だった。途中走るシーンなどをわざわざ挿入して、彼のスポーツマンシップが後押しされていた。

自然にモテちゃうスポーツ好き、それでいてハウスマンにも対等に接する育ちの良さがありそうな、あ〜〜真面目ハウスマンが好きそう〜〜!と思うような人物になっていた。

オスカー・ワイルドも色モノキャラではなくて、大人な真摯な造形だったので(こちらはシーンが地味になってしまい個人的には少し物足りなかった)、演出全体として登場人物をカリカチュアさせず、ハウスマンの心象風景に寄せるという方針が貫かれていたように思う。

静かな「君のためなら命を捨てられたのに」

作中に3度ほど出てくる「I would have died for you but I never had the luck!」、老いたハウスマンが回想に出てきたジャクソンに向かって言うセリフだ。

この激オモ感情をどう表現するのか?と思っていたが、最初はボソボソと情けなく呟くように、最後まで叫ぶような形ではなく事実を述べるように強く物悲しくサイモン・ラッセルビールが言っていた(と思うが、記憶が曖昧。

このセリフはキャッチーだなと思っていたので、さらっとサラサーティに拍子抜けしたものの、その分おじいさんが若者に言うキモさは軽減されていた。

脚本を読んでいる時はこのセリフは2箇所だと思っていて劇を見ていたら3箇所だったので(3箇所が正解)、激しくないのにちゃんと粒立てて記憶に残してくる名演技でした。

魅惑のラストシーン演出

ラストシーン直前のクライマックスは、ラテン語の詩の訳を聞かせるフリをして、若いハウスマンがジャクソンに(こっそり)愛を囁くシーン。
脚本を読んでこのシーンがぶっ刺さったので、特に楽しみに目をかっ開いて観たのだった。

ジャクソン(下手)と若ハウスマン(上手)は客席を向いてピンスポットが当たり、老いたハウスマン(舞台中央の奥)は少し上手を向いて立っていた。

よく見ると、若ハウスマンが愛をささやくキメゼリフで老いたハウスマンが一緒にリップシンクしとるー!!!

老いてなお同じセリフを言う破壊力ー!!!脚本に指示無いけど演出!?天才かー!!!

彼の研究者としての表の人生と、秘めた愛情の裏側をつなげる核のシーンなので、このリップシンクを観られただけでも現地で見てよかったと思った瞬間だった。
そして、こうきたか!!でもこれ、角度によっては見えない人もいるのだと思うけどいいのかな?!と忙しく観ていたのだった。

家に帰って再度脚本を確認し、「あなたが優しければ幸せで、横を向けば暗い。私はお前に翼を与えよう。お前は、地と太陽が続く限り、後世に歌われる歌となるだろう。そして死後も名声は衰えることはない」のような内容のセリフであり(作中、ジャクソンは病気で早く亡くなっている)、ピックアップされている箇所の思いの爆発に再度、ジーンと来てしまった。

若いハウスマンはジャクソンに無邪気に囁いているけど、死後のハウスマンはジャクソンがその後亡くなることを知っているんだよねぇ、切ないねぇ。

ハウスマンの対極の人物としてオスカー・ワイルドを置いており、2人の対話を通じてハウスマンがいかに世に隔絶されていた人物か、彼の孤独が伝わってくるところなど、この脚本の好きなところを語りだすとキリがないのだが、長くなってきたのでこの辺で・・・。

断片的なシーンが多いので、ミニマムな箱に上質な演者・演出という構成がピッタリで、観られて本当によかった。

以上、感情的に盛り上がった(ぶち上がった)部分だが、以下はその他に魅力に思った部分です。

ザ・小劇場演劇!でも豪華!

狭いすり鉢状の劇場で、最低限の装置と効果だけで大きめのドラマを伝えるいわゆる「小劇場演劇」っぽい作品だった。

原則は渦の床模様が描かれて三途の川が表現され、そこへボート風の枠に乗った登場人物がちが登場したり、桟橋が出て芝生がひかれてベンチが置かれたりして進行していく。

ただし、キャストは豪華だし、どう見てもしっかり稽古はしているし、舞台に2階部分があって透過幕になっており、途中途中の回想や離れた距離の人が登場したり、最後のオスカー・ワイルド逮捕に関するシーンなどはパーティーの後の小道具などがふんだんに用意されており、ミニマム風の豪華舞台だった。

他にも凝っていると思ったところ
・出入りは舞台奥に3箇所、上手下手に2箇所、客席側通路で2箇所もある
・ビリヤードやゲートボールを、ボールの打撃音と光の移動で表現
・徒競走のレースを下手から上手へ歓声の音源を移動させることで表現
・舞台正面の出入り口は出はけの度に扉を開けたり閉めたり

後日見た「プロデューサーズ」でもそうだったのだが、何とか絞り出した小劇場作品ではなく、あえての小劇場!ミニマム!と感じて、とても幸せだった。
そう感じるのはキャストや制作各部門の完成度(と予算)によるところなのだろう。

客席に話しかけるサイモン・ラッセルビール

サイモンラッセルビールが近かった。

また、1幕ラストシーンの長台詞や、文献学について講義を行うところは、客席の電気が着いて、観客に直に話しかける演出だった(話しかけられている!!

一方で、特にサイモン•ラッセルビールは手ぐせで語っていると言うか、明らかに集中する•させるところと、流すところを分けている感じがあったのが印象的だった。セリフ長いからね。でも、晴れ舞台であるナショナル・シアター・ライブでは見られないような、週8回公演向けの持久走スタイルの演技も見られてホクホクしてしまった。

絶妙な2人のハウスマン

若いハウスマンであるMATTHEW TENNYSONから、丸みを帯びた老いたハウスマンになるのは・・・骨格的に無理があるのでは・・・?と見た目の違和感があるもの、でも1人の人間の若い頃と年老いた頃に見えた。不思議。

おそらくなのだが、本質的にこの人は芯から真面目なのだ!と感じさせるオーラが2人ともから出ていたからだと思う。(今回のハウスマンのキャラ造形は脚本を読んで感じた「神経質な人」というより、真面目すぎて地味な人という形だった。)

衣装の着こなしや、ちょっとした言い回し、動作などを同調させる微調整を経て、同一人物に見せているのだろう。

舞台の魔法というか、役者が家族や同一人物に見えるこの瞬間がたまらん!と思う。

若い3人がまぶしい

タイトル通りなのだが、青年3人のシーンがとにかく眩しかった。ボートのフレームを3つに分けて、それぞれのフレームにキャスターがついていて、スピードに乗って転がしながら出たり入ったり。
これが非常にテンポが良くて、消えたり現れたりの回想シーンとの相性抜群だった。

船として合体してみたり、波の表現として自分で揺れたり。

暗い、何もない会場なのに、3人が現れるだけで日差しが燦々と降り注ぐオックスフォードになるので、劇場って面白いなぁといつも思う。

ラストのセリフは、少し茶目っけがある言い方がされており、ああハウスマンはまた知の探求の旅に出かけるのかな?という余韻があった。

1本目ということもあり、まだまだ元気で大満足の観劇となったのだった。