鼻からスイカというよりは、腹の底からレーザー砲

先月初めに、赤子を産んだ。やっと1か月半が経過した。この数週間で我が子は置くと泣き出すようになった。いわゆる背中スイッチというやつだ。

寝ても置くと起きる。起きている時はぐずって親を呼び出す。置いては泣く、あやすを繰り返すうちに、勢いずっと抱っこしていた方が楽だということになってしまった。

火がついたように泣いた後だと、抱き上げて部屋をうろうろしてなだめないと、中々泣き止まないからだ。

そのため毎日の大半の時間を、人間安楽ソファとして送っている。日がな1日、リビングのソファでポツンと座って赤子を抱っこし、時々あやし、子が熟睡するほんの少しの時間で、家や自分のことをする生活が続いている。

そして睡眠不足でふらりとする頭を抱えて、ぼんやりとドラマやアニメを観ている。海外演劇など観たい作品はあるのだが、英語や深いドラマに向き合う気力が湧かない。

あまりに平坦な毎日だ・・・と思ったので、お産のレポートを書こうと思う。
事前に様々な出産レポートを読んで心の準備をしていたのだが、現実は甘くなかった。

鼻からスイカか?

序盤は息が止まるような壮大な生理痛、子宮口が開くまでの中盤は骨盤内ドリル掘削、子宮口が開いてからの分娩フェーズはお腹の底から強制レーザー砲射出・・・というのが体験してみての実感だった。

ドリルで掘削されるような痛み

中盤ドリルフェーズがK点越えの凄まじさだった(ドリルフェーズて、、、)。赤子の向きが通常と逆向きスタートの回旋異常だったこともあり、中で赤子が回っているのがわかるようなドリルっぷり。
道路工事のドリルでドドドドとされるような骨盤内掘削と、おかしな方向へ開いていく骨盤に、怖れのあまりナースコースを爆押ししたのだった。

また、終盤のいきみのフェーズはもう楽になる、と勝手に思っていたのだが、そんなことはなかったというのが大誤算だった。もう最後まで痛みのエレクトリカルパレード。

ちなみに最後、頭が出て肩を取り出すために助産師さんに手を突っ込まれている瞬間が、個人的な最大瞬間風速だった。

鼻の骨を広げてスイカ

痛みを正確に書こうとすると、鼻からスイカを取り出すために、6時間ほどかけて鼻のあたりの骨をこぶし大に広げ、自分でいきんだ挙句、人が手を突っ込んで取り出すまでの一連の痛み・・・だと思う(もうそこまで表現するなら、鼻から出す必要なくないか。)

途中、現代人の軟弱な自分が麻酔なしで臨むなんて無理だったんや・・・と本当に本当に後悔した。
でも近所の病院は、麻酔科医不足で初産で無痛分娩できるところがなかったのだ。

恐怖が最高潮に

中盤以降は想像を絶する痛みに加えて初産で終わりが見えなかったため、逃れられない恐怖に打ちのめされた。

逃げたい、消えてしまいたい。でも自分の体に起こっていることだから、どこにも行けない。そしてコロナで、誰もそばにいない。

パニックや過呼吸を起こしてしまうことが過去あったため、その状態に陥らないように必死だった。
恐慌に飲み込まれて自分を手放したが最後、手が付けられない状態になってしまうことが目に見えていたからだ。

とにかく冷静に、痛みから意識を逸らして、自分を手放さないこと・・・。

鮮明な痛み

そのため「冷静だね」と助産師さんに声をかけられるほど、無音で静の地蔵系妊婦となった。
内心は、安西先生、お産やめたいですーーと滂沱の涙であるが、耐えるのに必死すぎて「逃げ出したいです」と絞り出すのがやっとだった。

終始、自己を抑圧して望んだため、最初から最後まで夢中になって痛みを忘れる瞬間が訪れなかった。
ひたすら拷問のような時間に耐え忍ぶこととなり、え、思っていたのと全然違う・・・。

分娩は腹の底からレーザー砲

そして、分娩開始後に恐怖はついにクライマックスに。錠剤を押し出すように、自分のいきみで骨盤を広げて赤子を出さねばならぬ。
(と、今は振り返られるが、当時は何が何やらで、助産師さんの指示にただついていくのみであった。)

数分おきに勝手にいきみの体勢に入っていく体、そして訪れる許容を超えた痛みーー。

体にレーザー砲が搭載されていて、それが数分おきに勝手に充填されて、体全体を使って四肢を突っ張って、射出せねばならぬ、そんな感じだった。

または、腹の底からキャノン砲というか、ビーダマンのビー玉を押し出す感じというか。

エヴァに乗せられるシンジくんの気持ち

カタパルトに乗せられて、敵の前に放り出されて攻撃を受けるシンジくんのようだった。勝手に充填されるレーザー砲に、もう嫌だ!!ここから出して!!と叫びたくなるような気持ちになった。

シンジくんは・・・本当に辛い状況だったんや・・・

それでも無慈悲に充填は進み、パワーがマックスになると、勝手にいきみの姿勢になっていくのだ。こ、怖かった・・・

あと、シンジくんを見直した。

終わりに訪れる無・・・

その後、無情な1時間が経過して進むお産。
骨盤に挟まる頭に「絶対無理だって!ほんと通らないって!!」と思ったり、頭を通った後の肩を取り出す激痛にうめき声をあげたりし、

ーーオギャーと。

ついに産声を聞いたのだった。その瞬間の心情はーー無。終わった・・・と、全部が限界超えた真っ白状態だった。

子宮口全開から1時間半、陣痛開始から14時間ほど、前駆陣痛開始後1週間程度ということで、世間的には安産と言われる部類に入ると思う。

そこからもしんどい

さらにお腹を押してぶしゅーと液体を押し出されたり、胎盤の残りを掻き出されるのがこれまた声をあげるほど痛かったり、裂けたところを縫われたり、とさらにしんどい時間が続いた。

その後2時間の安静中に我が子との初対面。当日のメモには「流石に小さくて可愛い。君が入っていたんか。」と書いてあった。

全然冷静じゃなかった

感動というよりも、アドレナリン爆出しでよくわからない気持ちだった。押さえ込みすぎて潰れてしまった、熟れたトマトみたいな感情だったように思う。

その後夫に電話をし、話す中で、改めて自分の中の恐怖を自覚した。号泣しながら「どうしてもやりたくなかったことを無理やり成し遂げた、あまりに恐ろしい思いをしたのだ」と必死に訴えたのだった(朝9時。

必要な痛みだったのか?

せっかくだし1度体験してみようという好奇心が無かったといったら嘘になるが、金輪際ごめんの痛みだと思った。

人としての許容量を超えていたので、これが当たり前とされ、見えないことになっている社会のグロテスクさを改めて感じた。あまりに人権が無くないか。

生みの苦しみを子育ての責任感と結びつける人がいたら、一生許さないと思うし、スイカの液に漬けたエヴァフィギュアを鼻の穴にぶっ刺してやると思った。

序章に過ぎなかった

しかし1か月半が経ったあと、この出産の辛みの記憶がすでに薄れている。それは、その後が怒涛の日々だったことによる。

全然おさまらない、産んだ周りの壮絶な腫れや痛み。めまい。そして、その状態の中で、無情にも始まる子供のお世話。

初日からの肩腰の凝りと筋肉痛・・・泣き止まない赤子・・・全然うまくいかない授乳・・・全ての苦しみの根源、睡眠不足・・・ホルモンに引っ掻き回される心身・・・からのぎっくり腰と腱鞘炎・・・お洋服の爆買い・・・増え続ける宝塚の知識・・・

産前産後、ブログのネタにするぞ!をせめてものモチベに生きているので、少しづつ感想をレポートして気持ちを成仏させていきたい。