泣いても笑っても育休が終わる

どもどもケイです。タイトルの通りなのだが、近々仕事に復帰するので、ここまでの約7か月の育児を振り返ってつらつら書いておきたい。

やっと赤子を可愛いと思えるようになった

ありがたいことに赤子が7か月になった。出産直前に身内の大病が発覚したため、自分の準備をしながら身内の闘病用意もせねばならず、臨月で不動産屋に駆け込んだり、泊まり込みで励ましたりバタバタしていた妊娠10か月目。
心労で能面のようになった中、里帰りもなく産んだ初めての子だった。予想通り、一向に湧いてこない母性。そこから新生児期を忍の一字で過ごし、やっと可愛いという気持ちが芽生えたのは、生後2か月半ごろだった。
そして、心の底からなんとも愛おしいですな・・・と思えたのは、なんと保育園が決まってからの生後6か月ごろだった。おそらく心の余裕ができたからだが、突如ドッと湧いてきた。すごくホッとした。

人の思いやりや優しさは、容易に崩壊する!人格の良さは心と体の余裕が無いと無理!そして心と体の余裕はお金が大いに影響する!と思っている派なのだが、今回の経験でも愛情は余裕が無いと生まれないなぁと痛感した。
母性なんてないよ、責任感と各種余裕と、性別役割分業が見せる幻想だよ。そんな気はしていたけど。

保活をした

0歳児4月入園ができない早生まれのため、年度途中にトライまたは激戦1歳児から入園が必要という絶望状況だったが、割とすんなりと決まった。

都内ほど激戦でない &コロナで0歳で預ける人が少なめ &やべえ気温でならし保育の送迎が無理ゲーの8月入園、という条件が重なり奇跡的に空きがあったが、この記事を書いている9月時点では通えそうな保育園は全て空きなしに変わっている。滑り込みセーフできた形だ。

なお、一応市役所へ10回以上問い合わせ、自分の最高点を出せるように細心の注意を払って記載し、職場へ労働証明書を書いてもらい、提出に市役所を訪問し・・・とかなりの労力を要した。見学しても選べなくて意味がないので、見学は1つもせず出願した。

居住している市役所はかなり利用者に寄り添った書類の案内をしてくれるが、それでも膨大な手間がかかった。これを保育園に入れたい働き盛りの家庭全てが家内制手工業しているのは効率が悪すぎんか。そして大体母が担っているの、不平等すぎんか。

赤子が夜通し寝るようになった

保育園が決まったことで、生活リズムの照準を保育園に合わせた。赤子を9時ごろのミルクを最後に朝7時ごろまで寝かせることにした。

大変ありがたいことに、今のところ夜泣きをしない子なので、何回か起きることもあるが深夜帯を寝てくれている。私が趣味の時間を確保できているのは、赤子が夜泣きをしないことが大きい。

その代わりと言ってはなんだが、昼間のぐずりは中々のものがあり、新生児期はかなりの時間膝の上に乗せ、外に出られるようになると毎日夕方に2時間ほどのお散歩をしていた。暑かったので、冷房のあるところを亡霊のように徘徊していた。

小食の赤子

そして小食。ミルクは全然飲まず、全力で褒めて盛り上げて、こまめにあげても飲まず、温度をあれこれしても飲まず、保育園入る前は毎回1〜2時間かけてなんとかそれなりに飲ませるを1日5回していて死にそうだった。今は離乳食が始まったが、やっぱり食べ飲みムラがジェットコースター。
ちなみに新生児の時からこんな感じだったので、辛すぎて1か月で母乳終了、完ミで育てている。

推しを見に大阪遠征した

7月に推しを拝みに、人生で初めて大阪へ1泊遠征した。この話は別に書きたいのだが、書く時間あるかな・・・。赤子が生まれてから初めて24時間以上別々に過ごした。

行きの新幹線で、これまでの大変さが走馬灯のようによぎり、びょーびょーと泣いた。この半年分からないことだらけで、毎日一生懸命しているのに体感50点くらいで、そして泣く余裕も無かったのだと思った。

大層リフレッシュできたので、夫(と夫に推しという概念を教えてくれたラブライブ!)には感謝感謝であった。

真夏の送迎で茹でダコになった

8月に保育園へ入園した。保育園は家から遠いところにしか入れず、片道25分ほどベビーカーを押している。車を持っておらず、まだ赤子が自転車に乗れないからだ。今年の夏は暑かった。慣らし保育は真っ昼間に迎えにいかねばならない。

送りは夫が担当なので迎えだけだが、それでも園へ往復するだけでその後は熱中症のようになり倒れ込む毎日だった。地獄の送迎をきっと一生忘れないだろう。一生忘れないっていうか、来年もやってくるんですか、そうですか。

光の速さで赤子が風邪をひく

そして、保育園に入れて1週間で赤子が風邪をひいた。たった1週間、早すぎんか。これが洗礼か。深夜に突如高熱で泣き声をあげ、そこから鼻水ずるんずるん。

赤子って口呼吸できないから、鼻水出ると苦しくて寝られないのだ・・・ということを初めて知った。発症から3日ほど、断続的に赤子が泣き、隣で宥めていないと一向に泣き止まず、そして夫は繁忙期、ということで、徹夜が3日くらい続いて死にそうだった。

結局、嘔吐もせず、気管にも症状がこず、という初心者向けチュートリアルのような風邪だった。
出産祝いにもらった鼻吸い機が大☆活☆躍(赤子は鼻をかめない。そして中耳炎になる。)1台1万円以上するとか、メルシーポットの名前とか、馬鹿にしてすまん。今後は私もこれを出産祝いにする。

復職で一番気が重いのは、赤子の病気なんだよな。精神的にも肉体的にもボロボロになるし、可哀想だし、仕事にも穴開くし、何より保育園に預ける罪悪感に轢き殺されそうになる瞬間がこの後何度訪れるんだろう・・・と今から憂鬱である。

すごく真面目に暮らしている

赤子が舐め回すので、自然とシーツやら服やらを頻繁に洗濯することになった。毎日送迎があるので歩き、風呂にも入り、掃除もし、今後のことも考えてご飯も手作りし・・・と、これまでのズボラな生活から一転、勤勉に暮らしている。
休みの日も7時には起きているし、毎日疲れ果てて10時半には床についている。

たまに、全てを投げ捨てて修道院か寺に入りたい!今がつらい!と妄想するようなことが前はあったのだけど、もう育児はポータブル修道院だなと思う。奉仕、労働、勤勉、そして規則正しい生活(なぜなら、赤子が6時半には起きてモゾモゾと顔を触りに来るから。)

レミゼの「誰かを愛することは、神のおそばにいること」という歌詞があるけど、こんな物理的な意味合いもあったのだなという発見があった。

泣いても笑ってももうちょっとで仕事が始まる

保育園に預けるまで、赤子とべったりの生活を送っていた。一緒に起きて、赤子はミルクを飲んで、私はご飯を食べて、並んで朝寝。その後はまた赤子はミルクを、私はご飯を食べて、並んで昼寝。夕方は毎日お散歩で、そうこうすると夫が帰ってきて、お風呂入れてミルク飲ませて、また明日・・・。

隣に赤子がすやすやと寝ている瞬間が大好きだった。元々寝るのがとても好きなので、昼寝は幸せな気持ちになるのだが、赤子と一緒の昼寝は格別だった。

土日は用事と家事で忙しくなるし、のんびーり2人だけで過ごした時間はもう戻ってこないのだなぁと思うと、とても寂しい。
そんな日々が耐えられなかったのも保育園に入れた一因なのに、なんとも都合の良い感傷である。

改めて涙を流した昨日、保育園へお迎えに行って、帰ってきて夕方ミルクを飲ませたところ1ミリも飲まなかった上に、相手せい!あやせ!とばかりにうーうー言われて、センチメンタルもぶっ飛んでしまった。忙しない現実は続く。