【完結編!】METライブビューイング翻訳者に聞く!オペラ映像翻訳のこぼれ話!

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どもどもケイです!
4/22(金)〜4/28(木)全国の松竹系列の映画館で放映されたMETライブビューイング《ナクソス島のアリアドネ》。

予習回だった前回に引き続き、翻訳者である庭山由佳さん主催のスペースにて観た後の復習会としてお話を伺う機会をいただきました!

そして今回はなんと!庭山さんのお声かけで、オペラ演出分析がご専門の森岡実穂さんがスペシャルゲストとして登場してくださり、豪華スペースが開催されたのでした。

庭山由佳さん経歴
日本大学芸術学部卒業後、文化庁海外研修制度にてドイツ留学。ドイツ座、シャウビューネ、フォルクスビューネのドラマトゥルク部を経て、舞台制作・ドラマトゥルクを務める。翻訳に演劇『メフィストと呼ばれた男』(静岡芸術劇場・神奈川芸術劇場)、演劇『コモン・グラウンド』(東京芸術劇場)、演劇『ファウスト』、METライブビューイング『魔笛』等。日独交流150周年日独友好賞受賞。2018年よりベルリン在住。
森岡実穂さん経歴
中央大学経済学部教授。専門分野はオペラ表象分析、19世紀イギリス小説、ジェンダー批評。同時代の先鋭的な演出家による舞台を中心に、ヨーロッパのオペラ上演における政治的表象を追跡・分析している。著書に『オペラハウスから世界を見る』(中央大学出版部)など。

▼前回の予習会のサマリはこちら!!

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【予習編!】METライブビューイング翻訳者に聞く!オペラ映像翻訳のこぼれ話!

2022-04-23

森岡さんはTwitterおよびFaceBook、ブログでオペラおよび舞台の情報を日夜発信されています。欧州各歌劇場のシーズンプログラムへのコメントから、日本のオペラ、演劇などの情報まで。大変勉強になるので必見です!!

▷森岡さんのブログ「今日も劇場へ?」

配給元の松竹(株)とは全く関係ない、ファンミーティングのサマリです。
内容についてはファンミーティング時の発言ですので、参考にする場合は必ずご自身で内容をご確認ください。なお、編集の都合上、森岡さん、庭山さんの発言を一緒にご紹介しています。

舞台裏劇の前半!

R・シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》は、舞台裏のドタバタを描いた序幕と、作中作が上演されるの後半と分かれている。そのため、前後半に分けて感想や考察を伺った。

前半の悲劇のヒロインは作曲家!

前半の主役はズボン役である作曲家だ。至高の芸術を追い求めて絶望しており娯楽のクラスとは異なる質の高い世界で作品を作りたいと主張しているが、ツェルビネッタとの二重唱では価値観がひっくり返ったりもする面白い役どころだ。作曲家はモーツァルトをモチーフにしている。

作中作の登場人物アリアドネとの相似
自分が書いている作品の主人公アリアドネの悩みと作曲家自身の悩みがリンクしている。
後半のアリアドネはナクソス島で孤独に死んでしまいたい、放っておいて欲しいと主張しており、前半の作曲家との相似を意識しながら翻訳したそうだ。

喜劇も悲劇も同じ舞台
今回の演出版では喜劇チームと悲劇チームはそれぞれの立場で主張しつつも、お互いの話をよく聞いている。演出家モシンスキーの音楽家に対する愛を感じる部分である。

作中作の描き方

後半のオペラを前半の舞台裏の枠にどうおさめるのか?と言うのが、演出を見る上での面白い部分になる。

前後半が分かれるMET版
今回のモシンスキー演出では、前半と後半が全く別ものとして演出されていた。後半は、オペラという芸術が神の域に至ると言うことが、はっきりと分かるような描き方がされていた。

劇中劇を明示する他演出版もある
他演出では、2幕も1幕の枠の中で演じられていると言う形での演出にすることもある。例えば、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン)マルコ・アルトゥーロ・マレッリ演出では、最後に作曲家とツェルビネッタが再会するシーンが入っている。

全てのオペラの上演自体が、作曲家が新しいドアを開けて愛を学ぶレッスンであると言う形になっており、執事長の宣言通り、観劇後の花火を見る人々や、役者が給金をもらうシーンも挟まれている。

参考:ゼンパー・オーパー
ドイツ・ザクセン州の州都ドレスデンにあるザクセン州立歌劇場(旧称:ドレスデン国立歌劇場)は、設計者ゼンパーの名前からゼンパー・オーパーの愛称で呼ばれている。
(参考:世界屈指のオペラハウス「ゼンパー・オーパー」

モシンスキー演出
今回のモシンスキー演出は、前半は貴族の屋敷の中の小劇場舞台裏のシーンだ。一方、1988年のオットー・シェンク演出では大きな岩が舞台中央にある装置だった。こんな異物が長々と屋敷の中にあれば主人も嫌になってしまうだろうな、と納得感があるような演出となっていた。

1993年モシンスキー演出、および1988年のオットー・シェンク演出はいずれもMet Opera On Demandで見ることができる。
▷1993年モシンスキー演出(2003年収録)はこちら
▷1988年オットー・シェンク演出はこちら
この部分をお話されていた森岡さんから再度情報を整理頂いたので、記載させていただきます。
『最初、この映像が「モシンスキー演出の1993年からの改訂版」とお伝えしましたが、これは誤りで、この演出自体にはこの93年の初演から変更はありません。「大きな岩が舞台中央にある」映像をモシンスキー映像の初演時の姿と間違ってお伝えしてしまいましたが、正しくはそれは1988年に録画されたオットー・シェンク演出盤のことです。この件について、ティアラの引継の件が頭にあったので勘違いして喋ってしまいました。スペースの途中で一度口頭で訂正したのですが、おそらく十分に印象に残らなかったことと思いますのでここで文字訂正させていただきます。申し訳ありません。』

(聴衆の方は理解されていたと思うのですが、肝心の私の初稿が失礼なもので申し訳ございませんでした。改めて丁寧にご案内頂き感謝申し上げます。)

音楽家は使用人だった?

芸術家を軽んじるという明確な演出
本作の貴族の屋敷の舞台は、18世紀のウィーン。モーツァルト(1756年ー1791年)の時代に音楽家が貴族から独立していく、そういう時代背景を反映し、音楽家が軽んじられるストーリーと演出となっている。

芸術家の軽い扱いポイント
・伝言に来た執事長たちの態度が偉そう
・執事長が嫌味を連発
・本番直前なのにバイオリニストは雑用で不在
(食卓でBGMを演奏)
・本番直前に無茶な作品の路線変更を要求
・そもそも主人が登場しない

上記それぞれが前半の面白い点であり、また前半のヒロインである作曲家の悩みの元でもある。

《カプリッチョ》との共通点
同じR・シュトラウス(1864年ー1949年)の別作品《カプリッチョ》などでも同様に、貴族に雇われた音楽家がちょっとバカにされるというシーンが出てくる。
シュトラウス自身が音楽家を相対化して見ているのを感じられ面白い箇所である。

スペース後追加で、森岡さんに《カプリッチョ》の過去レビューを教えて頂いた。《カプリッチョ》は日本語の情報が少ないとのことなので、必見だ。
▷【中評270号】恋の残骸――ローウェルス演出《カプリッチョ》ほか
▷【中評303号】歴史を語り継ぐ――ファスベンダー演出《カプリッチョ》ほか

オーケストラ奏者の衣裳である燕尾服
オーケストラ奏者の衣裳が燕尾服なのは、音楽家が元々は使用人の身分で制服が燕尾服だった名残だそうだ。

(なかなかに座り心地が気になるお椅子・・・!!)

ジングシュピールの面白さ

本作品はジングシュピール形式のオペラだ。中盤は、この形式らしさで話題が盛り上がった。

ジングシュピールとは
「歌芝居」の意。18世紀後半から19世紀中ごろまでドイツで上演された歌劇の一形体。ドイツ語で書かれ、多くは明るく喜劇的な筋(すじ)をもつ。大きな特徴として、一般のオペラとは異なり、地の台詞(せりふ)が多く用いられる。

盛りだくさんの小ネタ
本演出版ではダンサーなどのエキストラがたくさん登場する。また、執事とのやりとりの背景にもたくさんの人が出ており、花火を運んでいる人などもカメラで抜かれていた。

音楽のみを楽しむオペラでは、舞台上のごちゃごちゃは雑音となる可能性もある。しかし、今回はセリフで進行することもあり、面白みのある演出となっていた。

演劇的な面白さ
歌手がセリフのみのパートがあるオペラは、非常に演劇的だし、演劇ならではの翻訳の工夫が必要になってくる部分だ。

ジングシュピールはハプスブルク帝国がドイツ語普及のために取り入れた形式。当時オペラにはイタリア語オペラしか存在しなかったところに、ドイツ語オペラを製作、そしてセリフを入れたより馴染みやすい作品を志向したという背景がある。

まさにこの形式が民衆への普及のためのものであるというのが分かりやすい前半パートだったのではないか。

執事長の存在感
執事長がセリフではなく、歌のみだった場合は、あそこまで散らかった劇にはならない。

執事長のように、ジングシュピールのセリフのみの役でも歌唱の理解も必要となる。曲が分かっていないと、喋り出しのタイミングなども掴むことができない。
万が一タイミングを間違ってしまった場合は、演劇の場合と同様に舞台上の役者同士でカバーして進行していくことになる。

テンポ良い指揮の魅力
音楽がどんどん進んでいく部分と、演出上たくさんの人物が細かくやりとりするところは、演出と音楽が合っていた場面ではないか。

指揮者ヤノフスキの持ち味が出ていた部分だ。今年2022年の東京春祭《ローエングリン》も、幻想的なストーリーが着目されがちだが、統率者が戦争について語ったり応答したりという戦時の音楽だということが音楽的にわかるような演奏だった。

インタビューでもあった通り、シュトラウスのちょっと盛り上げてはすぐ違うモチーフに切り替えていく音楽に、字幕としても付き合わなければならなかっただろう。

レパートリー作品の世代交代

音楽教師役クレンツレの名演
音楽教師役ヨハネス・マルティン・クレンツレの演技とセリフの巧みさが話題になった。
バイロイト祝祭歌劇場《ニュルンベルクのマイスタージンガー》ベックメッサー役や、ロイヤル・オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》グリエルモ役などを演じている。

音楽教師の世代交代
執事長役のブレンデルは、過去のMETの上演では音楽教師役で出演していた。今回は、役がスライドして執事長として再度登場している。

レパートリーのある歌劇場の魅力
世代交代があることで、オペラハウスがレパートリーを持っていて、作品が成長していくことにつながる。そのためにも、人が必ず中心にいて各人のキャリアを大切にしているのが、レパートリーの魅力であり、オペラハウスが続いてきた秘訣だろう。

若い人が「次はこの役かな?」と思うようなステップアップしてくれるのを見守るのは嬉しく、キャリアを重ねたベテランもすぐにやめずに執事長のような役を歌ってくれるというのも大切なことだ。キャリアがある人が舞台にいるというのは、作品全体の質を底支えすることになる。

この作品は人生そのもの

インタビューの共通点
前半の主人公の作曲家役レナードと後半のヒロインであるアリアドネ役ダヴィットセンがそれぞれ幕間のインタビューで、「この作品は人生そのもの」と言っていたのは、作品を理解するポイントとなるだろう。

少しロマンチックなことがあってもすぐに現実的なパートが入る音楽が「子供がいるとまさに生活そのもの」というレナードの発言につながったり、「辛いことがあっても一歩外に出たら何かが変わることもある」というダヴィットセンの発言などが参考になる。

作曲家とアリアドネは相似だということは、このスペースの論点で何度も出てきたが、「作品の中で人生そのものを見る」という演じる2人のインタビューのコメントもリンクしているのが、非常に興味深いところだ。

METライブ名物!幕間インタビュー

現地だと休憩時間!
METライブの魅力はインタビュー。現地のリアルタイム放映では、休憩時間に重なるので見逃しもありうるため、日本のMETライブは貴重な機会だ。
カメラがオーケストラピットや楽屋の中まで入ることもあり、ライブビューイングのある日は通常とは全く違う人員配置で回っているのではないか。

みんな見てる〜!!
世界同時配信があるので、インタビューを受けている歌手が地元に呼びかけている姿が見られる場合がある。
METに出るということは歌手にとっても特別なこと。故郷に錦を飾るような感覚だろう。

事前録画の場合もある
ダヴィットセンのように、幕間のインタビューは事前収録の場合もある。

想定する事前収録の理由
・次の幕への心理的な準備
・衣裳替えなどの技術的な問題
(メイクと衣裳を待たせることができない)
・事務所がライブ発言を禁じている可能性あり
(マネージャーは役者の発言を管理するのも仕事)

インタビュアーもビックネーム
今回は次回作(2022/5/13〜19上映終了)《ドン・カルロス》主演のポレンザーニが聞き手だった。毎回インタビュアーは大物歌手であることが多い。プロアナウンサーよりも、同僚歌手に聞いてもらって心を開くような、そんな気安い雰囲気と盛り上がりも幕間インタビューの魅力である。

METライブの魅力はカメラワーク
インタビューだけでなく、全体のカメラワークも素晴らしいものがある。
過去の《イル・トロヴァーレ》の殺陣のシーンなどむしろ生で見るよりも強烈な臨場感を与えるものある。通常だったら引きで撮るだけの舞台映像も、ものすごく角度やカット割を工夫していることがある。

翻訳の舞台裏!

ここで前回に引き続き翻訳について教えていただいた部分を一挙ご紹介したい。

相似を保持!

翻訳時は、並列の歌詞はバランスを保ったまま翻訳したい。

例えば、アリアドネ役のプリマドンナとバッカス役のテノールが、舞台監督である音楽教師に出番が欲しいと訴えている場面。お互いの非難は、同じ分量で似た字幕配置で出すことで相似を意識した翻訳になっている。

並列も重要!

後半のアリアドネの歌詞には「この尊い名前〜」という部分があるが、字幕の切り替えを工夫している。歌詞の長さと字幕表示をわざとずらしている。

字幕の切替の例
◆歌詞
「美しかった アリアドネとテセウス」

◆工夫した字幕
美しかった/
アリアドネ/
テセウス

→アリアドネとテセウスの並列の印象が残る
(「/」は字幕の切り替わり)

この並列表現は日本語にない語順もあり、随所に登場するため、度々表示の仕方に頭を悩ませたそうだ。

前半は腕の見せ所

執事長がドイツ語での皮肉を連発
ドイツ語でドイツ人が言うものを、日本人へどう伝えるのか?皮肉を解説すると字幕の枠に収まらない長さのため、どのように皮肉な文言を伝えるのか?は前半工夫したところの1つ。

難関!装置の高低差&セリフの応酬
前半の舞台美術は、舞台機構や貴族の館の上階と、舞台裏の2層構造になっている。高低差のある舞台装置であり、登場人物たちも縦横無尽に配置されている。

カメラマンがズームで撮影する時に、撮り切れていない人物がいる。カメラがパンしたところにはおらず、少しずつフレームインしてくるというシーンが出てきた。
そのため、セリフのタイミングではなく人物が映ったタイミングで、少しずらして字幕を表示するなどをした。

難所はあえての字幕OFF!
執事長の指示からの混乱が最難関のシーンだった。セリフと映像がズレたため、字幕なのにセリフではなく映像に合わせての表示にするという、型破りな方法を採用した。

最難関シーンの詳細
執事長の喜劇と悲劇を混ぜろ!という指示の後が該当のシーンだ。
METのカメラは先に喜劇チームを一瞬抜いて、すぐに悲劇チームを写すカメラワークだった。
悲劇チームを写している時に、執事長の「喜劇チーム」のセリフがあり、セリフと映像が食い違う困難極めるシーンだった。

結論としては、セリフの開始タイミングでは、わざと無表示という形にした。誤訳にならないタイミングで、わずかな時間ズレ表示を行うことで、映像と字幕を合わせ観客が混乱しないようにした。

縦書き横書き、左右の寄せ、通常では出さない位置での表示など、その他にも前半は細かな調整を施した。

「この扉の中にいるな」(いない?!)

前回も盛り上がった、演出の都合で役者の立ち位置が移動し、歌詞に出てくる本来の場所に役者が不在になってしまった問題
歌詞の逐語訳では、誤訳に見える可能性が大きいため、少しボカすように知恵を絞っているとのことだった。

演出変更に対応した詳細
作曲家がバッカス役の歌手を探しに行くシーンでは、本来は作曲家が楽屋扉の前まできて、「この扉の中にいるな」という歌詞だ。
しかし、今回の演出の舞台美術では楽屋扉が1階の奥にあり、作曲家は楽屋扉には到達せずにこの部分を歌っていた。扉の前にいないのに、「この扉」と直訳するとかえって誤訳に見える可能性が大きい。

このシーンでは、喜劇チームの子役が作曲家のそばに座っていた。そのため「この扉の中にいるな」ではなく、「ここに神が現れたみたいだ」と子役を指しているかのように誤訳にならない範囲で翻訳した。

その後、作曲家はアリアドネの中の曲を頭の中で脳内リフレインしながら(後半のオペラのメロディが実際に引用されている)、「ここに神が現れた」と歌うので、その歌詞になぞらえて子役=神の扱いをした。
しっかり観ていると、子役が大人に指し示されて前に出てきており、このモシンスキーの演出意図は明白に読み取れる。

無対象で歌うのは歌手が辛いと思うので、子役を配置することにより作曲家も歌いやすくなったはずだ。演出家モシンスキーの優しさが滲み出ている箇所だろう。

この演出家の意図を反映した字幕にするというのは、演劇制作が専門である庭山さんの大事にしているスタンスとのことだった。

その他、語順の問題などの翻訳の工夫点も含めて、前回のインタビューも非常に参考になる。

ワンワン鳴くと言う動詞?!

擬音語と擬態語はドイツ語と日本語の表現が根本的に異なる部分である。

擬音語の例
bellen(バウエン)
→意味:犬がワンワン鳴く
犬専用の動詞

日本語では「鳴く」という単語はすべての動物や虫に共通し、便利です。犬が鳴く、猫が鳴く、ライオンが鳴く、鳥が鳴く、鈴虫が鳴く・・・など。
しかしドイツ語では動物に共通する「鳴く」という単語がありません。同じ種類の主張でも、動物によって動詞が変わるのがドイツ語の特徴です。(「多言語生活」より引用)

後半の妖精3人の翻訳では、擬音語・擬態語は観客がイメージしやすく、あわよくば文字数が短くなるため工夫したとのことだった。

字幕の選択

ドイツ語の単語1つに、訳を5つも6つも考えて選択することもある。前後関係で、漢字か平仮名かも決める

ルビの活用

METライブビューイングではルビを振ることができるので、平仮名や漢字の他に漢字とその上のルビという選択肢もある。
単純に1対1ではなく、相似関係を作って選ぶこともある。

相似関係の例
後に喋っているバッカスの言葉が漢字2文字の訳になりそうだったら、その前段階、アリアドネの言葉も呼応して漢字2文字とする。

字幕は空気でなければならない。

字幕は、ビジュアルでぱっと入ってくる為、印象に残る。観客にとってはそよ風のように違和感なく、通り過ぎてもらうように試行錯誤している。
違和感を感じると、観客の思考はストップしてしまう。

字幕は過ぎ去る

本と異なり、字幕は1度表示すると消え、見返すことはできない
そのため、人間関係、前後文脈、並列、比較などが適切に伝わるのか?という点は常に心がけているそうだ。

後半のオペラと喜劇!!

後半については、宣伝写真にもなっているニンフたちのドレス、喜劇チームについて、ダヴィットセンの歌唱などについてが盛り上がった。

竹馬ドレス!

高低差を出すことにより、前半に引き続き高低差を実現している。巨大劇場であるMETに合わせて、上方の観客にも視覚的な楽しさを提供していた。異界の人というのが視覚的にもわかる

参考:パルケット
Parkett(独、パルケット)
→意味:劇場の1階席。平土間。

高所恐怖症であれば、立っているだけでも厳しいような高さで歌うという、かなりの技術が要求されるような演出となっていた。

人力で動作
上が1人なので、下の人は複数人である可能性が高いのでは?という話で盛り上がった。幕間のインタビューでは「スカートをアクターが動かしている」という話だったが、METの組織については不明だが、役者というよりも助演が動かしている可能性がある。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスでは、助演が所属する部署があり、年間雇用をされている。

助演とは?
合唱団でも歌手でもなく、セリフもないが舞台を進行するために必要なスタッフ。合唱団と同じ衣裳・メイク・カツラで合唱団の中にいて、口パクなどで歌に合わせながら、歌詞のタイミングで合唱団を先導して動かしたりする。また、舞台美術を転換する。

劇場がレパートリーシステムを採用しているため、専属で助演をする人が所属する部署がある。

ドレスのデザインにも着目!
ニンフのドレスはデザインも見どころである。モネのように柔らかい筆致で夕焼けなどの印象を抱かせるような絵が広い面積で描いてある。夕焼けや空、宇宙などの舞台背景につながるようなドレスのデザインで、さらにそれが動くというのが面白い。

異色の喜劇チームの衣裳

舞台全体としては夜を思わせるような大きい幕がかかっており、アリアドネも青い服を着ている。そこに人工的なツェルビネッタたちの原色の衣裳が登場する。
音楽的にも異質なものが並んでいるが、衣裳・美術でもコントラストが効いていて、一緒にシーンを演じていくのが見どころとなっている。

なお、ツェルビネッタたちの衣裳は伝統的なコンメディア・デッラルテの衣裳を反映している。

コンメディア・デッラルテ
仮面を使用する即興演劇の一形態。16世紀中頃にイタリア北部で生まれ、18世紀頃にかけてヨーロッパで流行、登場人物は、それぞれ特有の名前を持ち、ストック・キャラクターと呼ばれる。

アルレッキーノ (Arlecchino)
フランスではアルルカン、イギリスではハーレクインとも呼ばれている。猫の面を被り、赤・緑・青のまだら模様の衣裳を着ている。

コロンビーナ (Colombina)
アルレッキーノの恋人。無学だが生まれながらの知恵を持っている。アルレッキーナと呼ばれることもあり、その際はアルレッキーノと同じようにまだらの道化服を着用する。(Wikipediaより引用)

絶対に笑ってはいけないアリアドネ2022!

どの演出版でもそうだが、アリアドネはどこまで笑わないでいられるか選手権という感じになっている。また、後半のオペラは作品として独立しているが、前半のプリマドンナや旅役者が舞台に出て演じているという設定にもなっている。
そこのあわい、今どっちなんだろう?と思わせるのが面白い作品である。

ダヴィットセンの歌唱はハイライト

圧倒的な歌唱力
過去もアリアドネ役で成功を収めていた。2019年バイロイト音楽祭《タンホイザー》エリザベト役や2020年ロイヤルオペラ《フィデリオ》レオノーレ役など、素晴らしい出演が続いている。
インタビューでもあった通り、ちょうどここから破竹の勢いでというところでコロナになってしまった人の1人だが、ここから再び、スター街道を歩む出演が続く。


確かな演技力
喜劇チームを無視することなく、対応しながら演じており、役者としても非常に技術がある。トビアス・クラッツァーなど要求が厳しい演出家と一緒に仕事をしているので、実力は確かだろう。

ダヴィットセンの今後の主な出演作品
2022年
・8月バイロイト祝祭劇場(ドイツ)
 トビアス・クラッツァー演出《タンホイザー》エリザベト役
・11月12月リセウ大劇場(スペイン)
 ロッテ・ド・ビア演出《三部作》外套 ジョルジェッタ役
2023年
・1月2月ロイヤルオペラ《タンホイザー》エリザベト役
・4月5月MET《ばらの騎士》元帥夫人役
OPERABASEより)

来シーズンのMET《ばらの騎士》は、ダヴィットセンが元帥夫人、レナードがオクタヴィアンと、今回のアリアドネと作曲家のペアが再度登場する。

▷MET2022/23シーズン《Der Rosenkavalier(ばらの騎士)》情報はこちら!

その他

演出家モシンスキーの拠点がロンドンであり、ロイヤル・オペラ・ハウスにてキャリアを重ねた経緯から、ロンドンのオペラ情報についても話が広がった。

モシンスキー訃報
オーストラリア生まれで英国を拠点に活躍した演出家のエライジャ・モシンスキー(Elijah Moshinsky)が新型コロナウイルスに感染、(2021年1月)14日に亡くなった。(中略)
オックスフォード大学とケンブリッジ大学のシェイクスピア・カンパニーの舞台「お気に召すまま」の演出を手掛け、その舞台をみた当時のロイヤル・オペラの総監督ジョン・トゥーリーの目に留まり、劇場の演出チームの一員に迎えられた。
演出家デビューは1975年。ロイヤル・オペラでブリテンの《ピーター・グライムズ》を手掛け、簡素化された演出で大成功を収め、その後、ロイヤル・オペラを中心にさまざまな演出を手掛けて名声を確立。1982年にはイングリッシュ・ナショナル・オペラで、リゲティ《ル・グラン・マカーブル》の英国初演を手掛けている。(月刊音楽祭より引用)

森岡さんは93~95年にノッティンガムに留学していた時にモシンスキー演出の作品を観ているが、トラディッショナルな演出をする演出家というのが当時の印象だったそうだ。

英国ロイヤル・オペラの演出について

またスペース参加者からさらにロイヤル・オペラの演出とMET演出の比較についても質問が出て話が盛り上がった。
劇場ごとの作風というよりも、インテンダント(総裁、芸術監督)の人脈とプロデュースにオペラハウスの上演作品は左右される。現在は、ロイヤルでもトビアス・クラッツァーのようにドイツで非常に新しい演出で注目されている演出家を招聘することもしている。

ロイヤルはヨーロッパの中でもチケット料金が高い劇場として知られており、全般に安全運転が多いとも言われているそうだ。スター歌手の出演もある。

▷ロイヤル・オペラ概要

ENOも必見!

イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)はロイヤルオペラの拠点コヴェントガーデンから歩いて5分。英語でのオペラ上演をしている歌劇場だ。METの蝶々夫人もこのENOが初演、MET22/23のサイモン・マクバーニー演出《魔笛》もこの劇場ですでに上演されている。

ENOでは2021年よりリチャード・ジョーンズ演出にて《ニーベルングの指環》4作品を制作するプロジェクトを開始しており注目だ。

▷上記についての森岡さんの詳細情報はこちら
▷22/23シーズンリチャード・ジョーンズ演出《ラインの黄金》の情報はこちら

METライブ《ドン・カルロス》は珍しいフランス語5幕版

METライブビューイングでは2022/5/13〜19にてヴェルディ《ドン・カルロス》が上演された。このプロダクションは通常のイタリア語4幕版とは異なり、フランス語5幕版だった。録画も幾つか残っているが、珍しい上演となった。
https://twitter.com/MET_LIVE_JP/status/1522509639140593664?s=20&t=5gcnz43HFAiZQNria3uG5w
また、上演前には出演者が衣裳をつけたままウクライナ国家を斉唱するなど世情を反映していた。

METライブを要チェックだ!

METライブでは今後も新作や名作を上演予定。また、例年通りであれば夏にはアンコールの上演される可能性が高い。公式の情報が非常に分かりやすいので、要チェックだ!

▷METライブビューイングの公式サイトはこちら!!

後書き

引き続き庭山さんにお話を伺えるだけでも身に余る光栄なのに、かねてよりオペラについて勉強させていただいていた森岡さんの登場に、天にも昇る心地のスペースとなったのでした。しかしハイレベルな会話について行くのに必死すぎて、熱狂と感謝を全く表出できず終始モゴモゴ失礼野郎になってしまった(録音の自分の発言の聞き苦しさよ…)。

ここまで記載しているたくさんの情報は全てお2人にお話しいただいたことだ。途中の話でついていけなかった部分は後日調べて、この記事では引用や注記、リンクで追記した。オペラファンの方には周知の事実も多いと思うのですが、せっかく調べたので全部掲載しました(貧乏性。

貴重な話をお聞かせいただいたこと、そしてご多忙の中お時間を割いて頂いたことに、改めて感謝申し上げたい。