マタニティ期ハッピーできなかった女の出口戦略

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妊娠が判明した瞬間から、私の2人称は「ママ」になった。パンフレットで、病院の案内で、記録アプリで、私はママと呼ばれた。
方々から自覚もなった覚えもないママと呼ばれることに憤った。自分のアイデンティティを剥がされて、型に閉じ込められるような気持ち悪さがあったのだ。

「最下位になったテレビの前のあなた」という星占いの気軽さよろしく、この時期のママは、働くママは産休の挨拶の準備をなど、全ての呼び名がママになる。名前でもあなたでも女性でもなく、ただママと呼ばれるようになった。
雑にまとめてくれるな!と叫び出したかった。

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

新川和江さんの詩「私を束ねないで」の一節だが、まだ赤子が生まれる前にも関わらず束ねられ体験の端っこを味わったのである。

また、子供はおしなべて「ベビー」と呼ばれる。このベビー呼称も可愛さを粉飾しているようで嫌だと思っていた。

妊娠期間が、マタニティでママでベビーなんて欺瞞である。そんなキラキラで取り繕わないでほしい。子を孕んで体調不良の女と、産まれるかどうかもまだ定かで無い、強制的に栄養を吸い取っていく胎児があるだけだ。そう憤った。

そして、妊娠期間も半分をすぎると、望んだ子供にもかかわらず暗い気持ちが押し寄せた。自分の死が待っているような追い詰められた、寂しい気持ちになったのである。

働き出してからというもの、海外観劇と運動が私のアイデンティティの柱になった。数年に1度、海外の舞台を現地へ観に行き、日々体を鍛え、それを我が物顔でブログで報告する。その活動が私の喜びの大半を占めていたのだ。

子どもが生まれたら、1週間で何本も舞台を観る海外観劇の旅なんて行けるのは当分先になる。そもそも、産後職場へ復帰したら、子育てがひと段落するまでは自分の時間が持てないだろうということは容易に予想ができた。

心のともし火が消えてしまうように感じた。予想以上に自己の輪郭に固執していたの。日々の暮らしの柱となっている活動ができない、ということが実感となって迫ってきたのだ。
時間もお金も勝手気ままに過ごしていた人間が、果たして献身の日々を送れるのだろうか。

今思えば、こんなに悲観することはないだろうとも思うのだが、当時私は妊娠と仕事の両立の困難に直面しており、少し追い詰められていた。子宮筋腫のせいでお腹が張りやすく、妊娠4か月で切迫早産気味という診断を受けていたのである。子宮頸管長の短縮による入院や最悪の事態を回避するために、残業を全て断り、定時退社していたのだ。

当時、数十時間の残業が当たり前の職場で、社会人としても中堅に差し掛かり、キャリアの花じゃ!とばかりに一生懸命に働いていた。それが途中退場である。自分なりに頑張っていたプロジェクトから外してもらい、調整のために方々に頭を下げて、深夜まで働いている周囲を尻目に退散していたのだ。理解のある職場の方々には感謝しかない。余裕が無い中で仕事を被ってもらった上司や同僚は、寝っ転がっているだけの私よりもよっぽど大変だっただろう。本当に恵まれたと思っている。

ただ、それでも悔しかった。マミートラックを喜んで走らなければならない状況に、周囲との軋轢を産まないためにも謝り続けるしかないこの状況に、気落ちしてしまったのだ。

自分の全てが無くなってしまう。大切にしていたものたちにさようなら。悲しかった。

転機はやっと待ちに待った産休に入り、出産準備を始めたことだ。赤子の服や布団、哺乳瓶、タオルや石鹸などを一通り用意しながら、やっと実感が湧いてきた。

ーー人が1人増えるのだなぁ

ストン、とこの考えであれば納得ができて、ようやく前向きになって来たのだ。人が増えるから、生活用品や収納含めて用意が必要になる。その人は幼くて何もできないから、お世話が必要になる。ただ、それだけのことなのだ。

この頃には、胎児との同居生活にも慣れてきたのもある。自分の中にもう1つの生命体があって、養分が取られているなんて正気の沙汰ではない、到底受け入れられない、という気持ちにたまになっていたが、大分落ち着いてきた。

ママになってベビーを迎える、というハッピーな気持ちは引き続きピンと来なかった。しかし、私がママにドロンと変わるわけではなく、自分は自分のままで単に子が増えるのだということなのだなと少し腑に落ちた。

その子が成人するその日まで、扶養の義務を負うのだ。そしてしばらくは、生活の円グラフの大部分を子とともに過ごす時間が占めるのだろう。
ママではなく、世話人になるのであれば受け入れられそうだとほっと胸を撫で下ろした。

産んだ後に、大変さに早々に音を上げて、取り返しのつかないことをしてしまった、自分には向いてなかったんや・・・と絶望するのであるが、妊娠9か月のこの時はまだ希望に満ちた穏やかな心で過ごしていたのである。

人間、必要なのは有給と3億円である。とりあえずそれがあれば、明るく過ごせる。5億円でも構わない。