どもどもケイです。2023年末までに今年見た作品の感想メモをアップロードしようキャンペーン(別名、大事なのは質より量だと自分を鼓舞するキャンペーン)1本目。
※投稿は2023年12月ですが、記事の日時は公開当時のもので投稿しています。
ナショナルシアターライブ「善き人」の感想です。
総括としては、日本語訳がついていて、こんな上質な作品が観られるナショナルシアターライブ最高!!と思うような体験だった。
という前提で、以下詳細です。
作:C・P・テイラー 演出:ドミニク・クック 出演:デヴィッド・テナント、エリオット・リーヴィー、シャロン・スモール
日本語字幕翻訳:柏木しょうこ
上映時間:約2時間16分
もろもろがひと段落して、自分打ち上げということでお寿司を食べてからシネリーブル池袋に向かった。
(東武のトリトンは数年に1度しか行けないけど、行くとトゥルトゥルのネタたちにこれからも生きていく勇気をもらえる。)
今回は善良という免罪符で、迫害されている人々に無関心でいられる特権と傲慢さを描いた作品。
ウクライナやガザやまたはこの国のあらゆることに耳を塞いで、平日に寿司食いねぇをしてからナショナルシアターライブを観にいく自分自身よ、と遠い目になるような観劇となった。
保身の傲慢さ
この国もどんどん貧困に沈んでいくことを実感するような毎日だ。
他の観客もそうだと思うが、ナショナルシアターライブを観に行ける幸運と余裕の優越感などは無いだろう。
実際には無関心でいられる幸運の宝くじに当たり続けることを祈るような、息をひそめるような日々だと思っている。
しかし、何もアクションを起こさない自身の保身に走ることがいかに傲慢に響くのか、多くの保身が最悪の状況を作り出すのか、というのが全編を通じて抉り出されていたように思う。
でも一介の民に何ができるのだろうと思うのだが、その出口は作中で何度も塞がれているんだよな。
友人モーリスとの対話のえぐみ
主人公ジョンの友人のモーリスは、最初は具体的に、次第に抽象的に助けを求めるユダヤ人として登場していた。
出国許可証、スイス行きの切符と何度も助けを求める彼に、「今は一時的に国が混乱しているだけ」と言い聞かせ具体的な助けをしないジョン。
最終的に「酷い迫害が起きる」とあまりに遅すぎる警告をし、水晶の夜の後には「現実を受け入れるしかない」と言い切るジョン。
混乱による正常化バイアスから、保身による言い訳への変化は制服を着ることで可視化されていて見事だと思った。
僕にはそれ以外に何が言えただろう?という問いかけが何度も観客に発せられるのだが(テナントさん、カメラ目線?)、もちろん作者の反語のメッセージであり、ターニングポイントはいくつもあったのに結末に進んでいくということだ。
直近で観た劇団チョコレートケーキの「回帰不能点」と同様のテーマだったように思う。
男性特権に見えた
一方で、ジョンはあくまで白人の男性であり、女性の描き方はやや空気だった印象だ。
ジョンの妻が何もできない人として描かれていたが、ジョンは何もしなくていいのに家事も育児もやっている人になっており、出発点が違いすぎる。
この国で女性として生きている身からすると、ここまで自動で特権が付与されることはあまり無いので、私ってジョンだ!ジョンは私だ!という感情移入が身を襲うということはあまり無かった。
しかし、ニュースや社会問題を見るたびに「何もできないしなぁ」と思って、無関心の言い訳をするたびに、この作品を思い出すのだろう。
質の良い遅効性の毒のような作品だったと思った。