エンジェルス・イン・アメリカ@コレド室町【ナショナル・シアター・ライブ】

どもども、無事バレンタインデー・ホワイトデーイベントを切り抜けたケイです。何かあった時には便宜を計ってねチョコ、次の査定ではわかってるよねバームクーヘン、これで勘弁してねキャンデーなどが飛び交っていた。義理文化は無くなった方が楽だなと思うが、自分では言い出しっぺになれない小心者だ。

エンジェルズ・イン・アメリカを見てきたので感想を残したい。

エンジェルズ・イン・アメリカ

ゲイ・ファンタジアと銘打っているように、ゲイを主人公にしたファンタジーだった。前半はそこまでゲイ色を感じなかったが、後半は明確にゲイと周辺の人の苦悩がテーマだった。フタを開けてみれば、男性の役は全員ゲイだったのであり、登場人物は全員関係者だったのだ。

前後編の7時間半をかけてこの人間関係と苦悩を掘り下げて行くので、自分の理解に乏しいセクシャル・マイノリティーのテーマでも深い感銘を受けた。また、自分たちには幸せになる権利があると高らかに宣言するラストシーンには、苦しい心を勇気で貫くようなメッセージをもらえた。

舞台が好きでよかったなぁと心から思える作品だった。

解釈は公式パンフレットが端的で詳しく、感想もweb上に多く上がっているので、自分なりに考察した部分を中心に残しておきたい。

天国のシーンは舞台裏?

天上のシーンのセットが舞台を表現しているのでは!!と観ていて気がついて、興奮した。拙い絵で恐縮だが、イメージ図は以下だ。

上にチラチラ見えていたセットが実は上手側からつながる天井で、上手側に舞台の枠とフットライトがあって、下手には音響効果の操作盤があった・・・という理解でいいかと思う。

役者自身が舞台上でスタッフに向けて台本を突き返すのと、預言者が預言の書を返すのがかけてあったのだ。また、最後にメタ表現で幕が閉じるので、唐突になりすぎないように一度本線から離脱するような形にしてあったのだと思う。

神に何を訴えたのか?

このシーンを見ながら思ったのは、確かに聖書は男女の性愛しか保証していないなということだった。以下、聖書の中のキリストの発言を引用したい。

しかし、天地創造の始めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。したがって、神が結びあわせてくださったものを、人は離してはならない。(マルコによる福音書10章6-9節/日本聖書協会「聖書新共同訳」より)

プライアーが言っていた「人間は動き続けているのだから、認めて欲しい」と言っていた部分はこのことを指すと感じた。人は時代を経る中で、多様化しているのだからその在り方を認めるべきなのだと言っていたのだ。
「進歩」と言わず「動き続けている」と表現していたところに、マイノリティーからの発言ならではの配慮があるのだろう。優劣をつけないのだ。

もちろん聖書にとどまらず、社会的な規範意識を指すのだろう。ただ実際に社会自体を批判するのではなく、ファンタジーという体で硬直した天使たちを批判するところに、この作品の妙があると思った。誰も傷つけないのだ。

預言が指すもの

聖書の預言と預言者の定義としては以下のようなものがあった。

預言
髪の霊感を受けた人(預言者)が語る言葉。本来の意味は、神(あるいは他の人間)のために、代わって語ること。神の意識によって起こる出来事、神の裁きを救いについての告知である。
預言者
神の啓示を受け、神の名によって語る人。

作中では主人公プライアーがエイズを天啓として受け取り、神に返しに行くことになった。しかし、天上にも救いは無く、プライアーは預言を投げ出しながらも、なお祝福されたいという自分自身の思いを確かめて戻ってくる。

これは背景に、受難や苦しい出来事は全て神の思召しとするキリスト教の世界観があると感じた。迷いや貧しさの中での善行を評価し、貧しく辛い人たちほど神の国に近いというものだ。だが、プライアーはエイズの苦しみを神格化するのを拒んだのだ。苦しむことそのもの受け入れたのを、「持ち帰る」と表現していたのだと思う。

力強いラスト

作品のラストはプライアー役をしていた男性が客席に語りかけて終わる。この作品自体が、戦い抜いた人たちからのエールだったのだ。自分でいいという自分の弱さを認める肯定とは、また別のベクトルの肯定だった。

自分たちが幸せになる権利がある世界市民であることを、高らかに宣言する姿に胸が熱くなった。そして祝福をもらって涙が出た。力強く背中を押してもらえるような、こんな観劇体験もあるのだなぁ。

上記hatoさんのコメントが非常に分かりやすいです。※リンククリックで伏せ字が読めます。

キャストとパペット

その他、好きだなぁと思ったポイントについて残しておきたい。

天使のリアリティ

1部の最後に出てきたときには、びっくら仰天した天使だったが2部ではすっかりお馴染みになった。この天使がやばかった(語彙力。この細かい動きについて、演出マリアン・エリオットがウォー・ホースも演出していたと知って納得した。


翼がはためいたり、物やベッドに飛び移ったり、中空にとどまる足の動きなどフェテシズム満載!!ごちそうさまです!!(^0^)
天使の動き方は、ファイナル・ファンタジーなどのゲームの世界観を彷彿とさせた。怒ると翼がステージいっぱいに広がったり、主人公を翼で打つためにくるりと回転したり・・・なんなの!このリアリティは!!(リアリティとは。


あとは、映画コンスタンティンの天使ガブリエルを思い出した。翼のばさばさだったり、ダークで天使然としてないのにどこか超越しているところが似ていると思う(封印されし中二の扉が開かれる音パカー。

ハーパーの存在感

美貌で毎日舞台に立っているのが信じられない熱演のアンドリューガーフィールドや、ヘタレなのにモテモテの説得力があるジェイムズ・マカードルなど各キャストも素晴らしかった。筆者の印象に残ったのは、ハーパーを演じるデニス・ゴフだった。


ラリっているのに誰よりもまともな、妙な説得感があったのだ。鋭い眼光と、無造作な出立ち。終盤の天上のシーンでアフリカの天使を演じているときは、ハーパーの時と異なり淑女然としていた。そのときにハッと、この人すごく美人だなぁと思ったのだった。
立ち姿一つで演じ分ける、さすがだなぁと思った。