どもどもケイです。このブログは更新を途絶えないことが目標なのだけど、今年初めての更新が7月です。暑さを考慮しなければ、体感は2月くらいなので、主観ではセーフです。
ナショナルシアターライブのザ・モーティブ&ザ・キューを観て来たので、感想を残しておきたい。
今年の3月公演を日本語字幕付きで映画館で見られる!幸せ!!
なんか結果もう好きな作品だった
エモいという事前評判を聞いていて、そんな簡単にエモエモ言わないんだから!!と構えて見に行ったけど、結果エモだったぜ(ちょろい。
ギールグットが空いた椅子にハムレットのセリフを言うあたりから、ずっと見ていたい、これ長くて良かったぁ〜という多幸感に襲われた。
最近、なかなか演劇作品を見られないのと、NT at Homeの英語字幕を分かったフリして無理やり見ているので、良作を日本語字幕で映画館でじっくり見られることの幸せさよ・・・。
ザ・モーティブ&ザ・キューのタイトルの巧みさ
劇中のセリフにあるように、動機ときっかけと言う意味の「ザ・モーティブ&ザ・キュー」。
ただそれだけでなく、この作品自体のテーマだし、話が大きく動く父への想いシーン自体のモチーフだし、ひいては演劇自体の核だし。
何より、ギールグッドとバートン。
ギールグッドのセリフを粒立てるハムレット像を出発点に、バートンの舞台への激情をキューとして、作品が走り出すその瞬間に立ち会う。
2人の関係性が動機ときっかけそのもので、タイトルが上手いなぁとシミジミしながら見ていた。
楽屋ものの面白さ
顔合わせ、本読み、稽古場、作品の支配力、主演俳優や演出家の苦悩・エゴ、役者と酒・女、打ち上げなど舞台としてのあるあるが詰まっていそう・・・と思う作品でもあった。
舞台を愛する理由が「芸術」はヨイショすぎないか?
最近、舞台って最高に怠惰な愉悦だよなぁと思っている。
簡易と言われるスマホゲームですら、手指をせっせと動かす必要があるのに、座していれば作品をずーっと見せてもらえる。
しかも、生の人間によって、その場で創造して。
自分が舞台を好きな理由の1つは何もしなくていいからだ(大変ズボラな性格なので)、と言うのがこのところの気づきなので、「採算が合わない舞台に出るのは観客と作り上げる芸術を愛しているから!」と言うドストレートな文言に照れてしまった。
よせやい(ちょろい。
楽屋ものってわかって見にきてて、こんなこと言われて嬉しくない観客なんていないのでは?と思った。
舞台上に客席があるやつだ
あとまぁ来るかな?と思っていたラストシーン。
ババーンと見える客席のライトはもうちょっと早めの方が好みだったのだが(タイミングがためを作りすぎたアイドルみたいだった)、綺麗に締めにしたい気持ちは理解できた。
オペラ座の怪人といい、トッツィーといい、和製ミュージカルHeads Upといい、劇団四季のゴーストアンドレディと言い、客席が舞台上にあるだけでなんであんなにテンションが上がってしまうのかね(ちょろい。
プロアイドル沼のような爽快感
父への想いをハムレットの迷いに重ねて解釈するなどのご都合展開といい、観客へ媚びすぎでは?とは思わなくも無かったが、サム・メンデスのきっちりした演出とエス・デヴリンのスッキリ装置、何より演者の老練さにより、下品でないというか、爽快感があった。
シェイクスピアの舞台裏を見に行ったつもりで、プロアイドルのステージで沼に叩き落とされたような、予想外の味わいだった。
やっぱり全編ザ・モーティブ&ザ・キューというか、会話の積み重ねを丁寧に描いて、芝居を芝居で魅せることが貫かれていたからなんだろうな。
その他、ホテルの赤い部屋は酒呑たちの赤ら顔や潤んだ瞳を表現するための赤い照明なのだろうなぁという気づきや、ラストの冥界エンドというか、全てを取っ払った霊的な演出はベスト・オブ・エネミーズを彷彿とさせたとか、ハムレットを復習せねばなど色々まだまだあるのだが、こちらで感想を残しておきたい。
Writer: Jack Thorne
Director: Sam Mendes
Set Designer: Es Devlin
Costume Designer: Katrina Lindsay
Lighting Designer: Jon Clark
Composer: Benjamin Kwasi Burrell
Sound Designer: Paul Arditti
CAST
Richard Burton:Johnny Flynn
Sir John Gielgud: Mark Gatiss
Elizabeth Taylor: Tuppence Middleton
Hume Cronyn: Allan Corduner
George Voskovec: Ryan Ellsworth
William Redfield: Luke Norris