Young Vic「Best of Enermies」@配信

blue_muji

イギリス観劇クラスタの方のおすすめ作品ということで、予習の時間が取れずギリギリまで迷ったが、結果観て本当に良かった作品となった。まだ1月だが、今年の観劇ベストに食い込んでくる作品になると思う(気が早い。

予習はピコリンさんのブログにお世話になった。この事前情報がなければ政治劇が1ミリたりとも分からなかったと思う。

◆舞台情報
Writer:James Graham
Inspired by the documentary by Morgan Neville and Robert Gordon
Director: Jeremy Herrin
Set and Costume Designer: Bunny Christie
Lighting Designer: Paule Constable 
Sound Designer: Tom Gibbons
Video Designer: Luke Halls
Composer: Benjamin Kwasi Burrell

◆公式サイトはこちら

演出手法だけでも見どころ満載

脚本、役者、装置、照明、音響、その他全てが組み合わさった最高の演劇ってどういうのものなのか?の人生サンプルになるような作品の1つだったと思う。

ロンドンからの生配信

また今回は、ロンドンからの生配信、Twitter上の方々との同時視聴だった。アーカイブ配信をコツコツと自分で見ているよりもライブ感があり、やっぱり演劇のライブ感は体験の重要な一部だということを再確認した。

交通費や滞在費、有給コストをかけずにロンドンの質の良い舞台を観ることができるので、コロナは災禍だが、これだけは僥倖だったと思っている。

1968年の大統領選のTVショーがテーマ

政治家の討論ではなく、人気タレントやコメンテーターによる討論番組が大統領選の行く末を握るようになった転換点を描いた作品。

その後、アメリカの大統領選はプロモーションへの巨額の投資をしていく形に姿を変えていった・・・はず。(大昔に勉強したおぼろげな知識)

討論番組はおろか、相手のネガティブキャンペーンをCMで流すなど、到底メディアとしての役割を果たしているとは言えない状況にその後数十年で移り変わっていく、その最初のポイントの1つを描いていた。

メディアはどうあるべきなのか?

民主主義のための報道ではない、拝金主義と利権の温床になってしまう黎明期のTVショーをテーマにした本作品。

ラストは、現代に時間を移して、この1968年の討論にどのような要素が必要だったのか?をコメンテーター2人に問うて終幕となった。

特に心に残ったのが、最後の司会者の「もし2人(のような真摯に政治を議論するスピーカー)が不在の場合は、(報道としてそれでも)ベストを尽くす」というセリフだ。
アメリカの選挙報道の最新事情がわかっていないので、日本で考えてみる。

この前の衆院選1つとっても、突然の投票所の開所時間短縮による投票率低下、選挙前の政策ではなく選挙後政局の報道に注力するテレビ、公約を公然と破る各政党、それを検証もしない報道・・・と苦々しい現状を感じている。

一方で、テレビだけでなく、SNS全盛期となっており、テレビによるプロパガンダ利用やSNSをうまく乗りこなす(=財源があって、プロモーション戦略への投資が可能な)議員が当選している印象がある。

現代に時間を移したラスト

現代の我々からすると、テレビだけに閉じずに、事態はさらに混迷を極めているのでは・・・?という思いをうっすら感じながらの観劇だったので、最後のシーンは上手いなぁと思わざるを得なかった。

TVショーだけ描くと古臭い作品になる可能性もあったので、現代に通じるテーマを掘り下げているというアピールになると思ったからだ。

また、ラストに時空が歪んで、中の人の思いが吐露される作品は個人的に好きなので(ノートルダムの鐘、エンジェル・イン・アメリカ、など)グッとくるものがあった。

そこまで実写映像を使うなど、リアリティさに拘っているように見えただけに、そこから完全創作になるところも含めて、インパクトのあるラストだったように思う。

演技が美味しいです(?)

保守派のバックリーを黒人のデヴィット・ヘアウッドが、リベラルのゴア・ヴィダルをチャールズ・エドワーズが演じていた。

ガチガチの白人主義側の役に黒人をキャスティングすることで、かえって保守の人の振る舞いの形式が浮き上がる演出が成功していてとても面白かった。宝塚の異性装もそうだが、別属性の人が演じることで浮き上がる形式美みたいなものってテンションが上がるのだ(ツボ)。

多面的な人間性が滲む演技

また、2人の素の性格と、TVショー開始前やスタッフとの会話、そして実際の放映でのシーンでの大衆へ向けた振る舞いなど、事細かにキャラクターを演じていたのが印象的だった。

ただでさえ、史実に寄せたキャラ作りをしているが、さらにテレビの向こう側まで掘り下げているというか、あああ〜上手いな、というような演技が随所で味わえた。

特に、純粋に討論していた2人が、世間への見え方を気にし出す後半の堕ち方が見どころの一つだった。

バックリーのチャーミングさや、ヴィダルの好ましい軽薄さなど、それでいてそれぞれの役者の持ち味も出ていて、脚本・演出・役者が噛み合う舞台の面白さを堪能できたように思う。

映像とプロジェクションマッピング

開始当初の上にテレビクルーの部屋、下にスタジオという装置を見た瞬間に、ビビッと来た。客席があたかも観覧席のように舞台装置に食い込むような形になっていて、これは現地で見たら楽しかろうと思った。

また、テレビクルーの部屋の窓は、その後本人映像が投影されたり、テレビ放映のキュー出しのディスプレイになったり、演説シーンでの群衆の背景になったり、、と映像の使い方が自然で圧倒された。

床にもプロジェクションマッピングを投影するなど、出はけや装置の出し入れが限定的なのに、観客を飽きさせないシーン展開に映像投影が一役買っていた。

スタイリッシュで引き込まれるシーン切り替え

各陣営を対照的に描いていく高速でのシーン展開含めて、内容が分からなくても、このめちゃカッコ良い演出を見るためだけでも、視聴の価値があったと思うような演出だったように思う。

一方で、「ダイアナ・ザ・ミュージカル」やミュージカル「北斗の拳」に感じた、あまりに展開がもっさりしていて、本当に不満・・・という要因の解決策が何だったのか?という答えのヒントになったように思う。

テーマ自体の妙

扱っているテーマがテレビ討論なので、もちろん勝敗めいたものがあるし、そのための戦略、テレビ局側の思惑、政局など、エンタメ要素も多分にある作品だと思った。

そこへ、ドキュメンタリーというか実在の人物と、歴史の一場面に遭遇しているのだという妙な興奮に終始包まれるので、脚本のテーマ自体がとても面白いなという。
(日本の劇団でドキュメンタリー演劇というと、劇団チョコレートケーキが思い至るが、もっとエンタメ寄りでお金がかかっている感じ・・・)