ナショナルシアターライブ「イェルマ」@日本橋コレド室町

どもども。ようやっと涼しい日々ですね。ケイです。なんとか駆け込みでナショナルシアターライブのイェルマを観てきたので、感想を残しておきたい。

イェルマ

1934年の同名作品を人気演出家サイモン・ストーンが現代劇に仕立て直した作品。2017年ローレンス・オリヴィエ賞で最優秀リバイバル賞、主演のビリー・パイパーが最優秀女優賞を獲得している。

先週、みんなが歩む人生を私だけ歩めないのが妬ましい(意訳)、というセリフを友人に吐いたばかりの身としては本当にこの劇は身につまされるものだった。
「見えないみんなに押しつぶされそう」という気持ちを体現したような舞台。演出・演技ともに見応えたっぷりで、充実の観劇体験になった。

音が怖い

本題に入る前に・・・とにかくこれに尽きた。今回の劇は数年の長い時間をハイライトで進んでいく形式だ。章や場の間には必ずコーラスが挟まる。男女3〜5人だが、ただの発声だったり、聖歌だったり、不協和音だったりとバリエーションが豊かだ。これが怖かった。

場転の騒音を消す効果も狙っているのだと思うが、早く〜早く〜早く次の場面になれ〜と祈りながら見ていた。
筆者は大きな重低音と、太陽生命のCMのような無数の人が不規則に声を発している音声が苦手なのだなぁと1984の思い出が蘇った。

youtubeの予告動画でもその片鱗は伝わるかと思う。

錯乱シーンの演出はストレスかける系

開幕の時点でこれ…この演出…とひやっとしたのだが、最終幕あたりで来たー\(^o^)/
ガーっという大きな機械音、点滅するストロボ、その中でherが転落していくのを見るのは辛かった。観客へ向けて吐き戻したり、エグさを強調した感じだ。映画館だったので劇場に比べて没入感が目減りしているので、耳を塞ぎながら最後まで見届けることに成功した。ライブビューイング万歳!

アクリル板の妙

観劇した感想の誰もが触れるところだと思うが、水槽のような観客と舞台を隔てる透明な板。
筆者は博物館の展示みたいだなと思った。この女性は代表的なサンプルで、感想と考察を述べよというメッセージに見えたのだ。

仕切りがあることで、絶妙にリアリティが欠落して、自身に当てはめられる。隔てられることで、かえって迫る逆説・・・素敵

転換の時間の短さと、その割の大転換に首を傾げた。帰って諸々を漁る中で、タイムラインの方の上記コメントと記事が非常に参考になったので引用メモしておきます。

モラ夫

いみじくも主人公が最後に言っていたが、「あなたは一緒に悲しんでくれなかった」に苦しみが集約されると思った。
夫が「借金までして君に付き合ったのに!」と主人公をなじるシーンがあるが、ここはもうモラ夫……Oh……と暗い気持ちになった。過程はどうであれ借金をするのは自分自身で決めたことなのに、相手にすべてを負わせる他責メンタリティ

そういえば結婚も「君に変化が必要だと思って」という伏線があったな。
外面の良さと、他責と、ハネムーンと癇癪を繰り返す…モラハラストレートフラッシュ(逃げる準備だ!

依存的で決断しない夫と、承認欲求が強くて願望に引きずり回される妻。依存×依存のノーブレーキ。この2人、この状況下では良くない組み合わせなのでは…?早く離れて、メンタル治療しよ…?と悲しくなってしまった。

ただ、ラストが自殺エンドなのは納得感があって良かったと感じた。救いなんて訪れないのだ。

劇中から夫がHerへ向ける愛情(に見えるもの)は自己愛の投影だと読み取れるのが、今回の芝居のすごいところだと思う。シナリオと演出と演技が組み合わさって、極上のモラハラ関係が爆誕

人物の取り違えの表現

錯乱シーンの家族や恋人とホームレスを取り違える演出はなるほど!と思った。登場人物を限定するのが箱庭の閉塞感とマッチするし、同じ人が出てくる状況も主人公が認識違いを目で見える形で表現していて、極めて自然だったからだ。
上着を脱いで違う人になるのは、ミュージカル「カム・フロム・アウェイ」を思い出した。

同調圧力

イギリスにも同調圧力ってあるんだな、日本の専売特許ではないのだなというのが今回の発見だった。インストールした価値観や信奉してきた願いと、自分の現状がどうしても擦り合わないのは苦しい。
どうしたら自分の幸福って導けるのだろうね?とホクホクと考えながら帰った観劇となった。

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