劇団チョコレートケーキ「熱狂」@東京芸術劇場シアターウェスト

どもども大晦日ですね。順調に体重増加に勤めているケイです。どうしてお餅とお菓子はあんなに美味しいのだろうか。

歴史・軍事ドキュメンタリー演劇の人気劇団である劇団チョコレートケーキ。その人気演目「熱狂」再演にギリギリ滑り込み観劇をしてきた12月18日。
行きたくて、でも忘年会ラッシュで時間が取れないと思っていたが、ソワレ熱狂の最終日に当日券にて参戦。上の写真は番号札とポスターです。

チョコレートケーキの観劇は2回目。前回1972年のあさま山荘事件を題材にした「起て、飢えたる者よ」見たのは2013年。その時にも女っ気ゼロの汗飛び散る舞台に唖然としたが、今回も青年たちの狂気の群像劇となっていた。

毎回時代背景の年表や用語集が客席に提供されている。
人気劇団の人気演目のため会場は超満員、当日券も30名ほどが並んでいた。

今回はテーマがテーマなので、ややシリアスモードでお送りします。

独裁者ヒトラーが上り詰めるまでを体験する

第一次世界大戦直後のミュンヘン一揆から、第二次世界大戦直前のヒトラーが首相指名を受けるまでを描いた作品。
会議室と演説の2つのシーンを繰り返しながら、濃厚に2時間半を駆け抜ける。

舞台装置はヒトラーの会議場のみ

入場と同時に目に入るのがハーケンクロイツ。3つの真っ赤な幕が天井から地面まで垂れ下がっていた。
演説のために登る装置は3つを用意、舞台上手、下手、そして真ん中とヒトラーは常に真ん中で、そのほかの人物は左右のどちらかで実施することが多かった。

舞台は下記写真のまま、装置転換は一切行わない。

基本的にストーリーはヒトラーの小間使いリヒャルト・ビルクナーの目線で進んでいく。この平凡な市民である我々を代表したようなリヒャルトのメタ視点が最後の「熱狂」シーンでの独裁政治への批判として有効に効いていると感じた。

小市民リヒャルトと一緒にヒトラーやナチ党幹部を眺め、不気味さにおののき、深い悲しみを得てストーリーは幕を閉じた。

ナチス幹部を完全再現した演者たち

衣装や佇まいともに、各人物はナチス幹部を完全再現していた。またそれぞれが背負っている組織や権力構造が非常にわかりやすく描かれており、鑑賞後wikiのナチ党の権力掌握を読むと、それ知ってるぜとうなづけるようになるのだ。

また、最後の幹部6名が順に演説するシーンは本劇のハイライト。観客の我々もナチ党の聴衆として参加している形の演出のため、会場を包む熱狂の空気を味あわざるを得なかった。

個人的にはエルンスト・レーム役の大原研二に心を打たれた。人情味が溢れる、おそらく一番人気の美味しい役だろう。ヒトラーへの愛故に自身のポリシーを曲げてまで忠誠を尽くす姿が心に残った。

そのようなレームやシュトラッサーといったナチ党の立役者たちを人情味溢れるように描くことで、全員がナチ党が政権を取ると同時に殺されている恐怖を伝えようとする強い意図を感じた。自分の思想を持っている人は第二次世界大戦前に暗殺され、何も考えない礼賛者だけが残ったのだ。

ヒトラー役の西尾友樹は舞台が楽日前日なのもあり、声が枯れて大変そうだった。不安な普段とキレた時の落差は出て恐ろしかったが、演説時も勢いだけでなくカリスマ性がさらに滲み出ると凄みがでるのにと惜しく思った。

歴史ドキュメンタリー

歴史的な瞬間を眼の前で見ているような興奮があった。筆者が近年観たドキュメンタリー舞台は、金子みすゞの生涯を描いたてがみ座「空のハモニカ」と、9.11.のカナダの町の名もなき人々を描いたブロードウェイミュージカル「Come From Away」だ。しかし、本作の目指すところは感動ではなく、政治や思想にまで踏み込んで警鐘を鳴らそうとしているところなのがそそられる点だと感じた。

戦前の日本を思い起こす悲しさ

今回の劇は最終結末がナチ政権の誕生だという知識がなければ、青年たちの感動群像劇、それこそ池井戸潤原作の日曜ドラマの世界のようだった。
ナチス党が辛くも議会過半数に届かず、ヒトラーの首相指名を逃したシーンはクライマックスの始まりだ。落ち込んだ瞬間から手を取り合って立ち直り、青年たちが首相指名を目指す瞬間に涙がぶわと溢れた。

悲しくてたまらなかった。どうしようもなく涙が出た。

世界史に疎い筆者が想起したのは、戦前の日本の2・26事件だった。陸軍皇道派が天皇親政を掲げてクーデターを起こそうとした事件だ。その後も陸軍の暴走は止まらず、無謀な第二次世界大戦へ突入し、最終的に国家総動員法の成立をもって日本の民主主義は自ら命を絶った。

最善のはずの選択が招いた最悪の結末

最善の選択として一人一人が独裁を選択したのかもしれない。独裁者の誕生を劇場で「目の当たり」にすることで、じわじわと心に染み込んできて辛かった。あまりにむごいではないか。

困窮して、なんとかしたくて、強力な支配に救いを求めて、心から信じて独裁を推し進めたら…?希望を求めて実現したはずの独裁政治の結末を、我々はよく知っている。第二次世界大戦だ。
日本では多くの都市が焼かれ、原発が落とされた。ドイツでは人を家畜のように扱って数千万人を死に至らしめた残虐な行為が行われたのだ。

どうしたら引き返せたのか?観劇後の課題感は少し重かった。戦前の日本もドイツも独裁を推し進めたのは追い詰められた若者たちであり、今後日本は超高齢化社会へ突入していくからだ。

服従の心理

観劇に際して自分自身の理解が深まった事項を2つ残しておく。

ミルグラム「アイヒマン実験」

大学で一応社会心理学専攻だった筆者は、有名なミルグラムの実験のような権力装置が生まれる過程を目にした気持ちになり、空恐ろしかった。
いまだに心に残っている衝撃の内容だったのでぜひ紹介したい。

ミルグラムの実験とは?
閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。アイヒマン実験、アイヒマンテストとも言う。50年近くに渡って何度も再現できた社会心理学を代表する模範となる実験でもある。
(中略)
「アイヒマンをはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を送るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でも残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起され(中略)実験の結果は、普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもの
wiki「ミルグラム実験」より

詳細な実験方法は上記リンクや書籍を参照いただきたいが、権威のある人に命じられると、即死レベルの電撃でも他人に与えてしまうし、相手が苦悶の声を上げていても無視して電撃を与え続けるという実験だ。

この実験と今回の劇で、国全体で大きな虐殺装置になりうることに納得した。権力を一つに束ねた状況下で権力が命じると善悪を考える機会がなく、どんなこともしてしまう集団が誕生するのだ。絶対的な権威のもとでは集団として暴走してしまうのだ。1人1人は善良で真面目に職務をこなしているだけにも関わらずだ。

政治社会で習った三権分立ではないが、権力が集中する状況は危険なのだ。誰かすごい人がなんとかしてくれる、という思想も含めてだ。
自らの幸せを人に委ねることで、ひとの幸福は叶わないのだろう。

独裁と優生主義

優生主義と独裁主義の根っこが同じであるという目からウロコな納得があった。「人間には優劣があり」「一部の優れた人が全てを統べることで世界が良くなり」「劣った人は、物であって人間ではない」という考え方なのだ。

余談だが、血液型診断が優生思想に基づく考え方のため西洋圏では変な話題だということを大学時代に教わって以来、筆者は血液型診断で非常にノリが悪かったりする。

政治や思想のプラットフォームとして劇場が機能するのはいいことだなぁと最近感じているので、今回は政治&思想みを多めにして見た。みなさまはどう感じているのだろうか。