2022年ももうすぐ終わる。慌てて書きかけなどの、過去の感想をあげていこうと思う。まずは7月に観たザ・ウェルキン。
シスターフッドがテーマ
うっすら受信したテーマが、シスターフッドと出産による女の分断、ということですごく好きそうだなぁと思って観に行った。
結果としては、前半後半ともに大変鼻息荒く観た。大変良い辛い芝居であった!とツヤツヤしながら帰宅した。
一方で、脚本の力をものすごく感じ、一部腑に落ちない演出があり、どこまでが脚本でどこからが演出なんだろう?と久しぶりに現地で戯曲を購入した。
予算がないのでコクーンシートだったが、後半残酷なシーンがあって目隠しを要したので、見切れ席の観劇で良かったと思った。
女の分断の宝石箱
夫の地位で女性の序列が決まるのが鮮やかで大変ツヤツヤに。
夫が連隊長のシャーロットは勝手に陪審員長になるのに、実際は問題解決の能力はないので神頼み。でも権威に引きずられる面々。のちに家政婦ということが判明して扱いが雑になるのもセットで面白い。
前半はこの地位のある保守的な女性(受け身) vs 自立した職業人エリザベス(行動)という構図がすごく良いなと思った。
後半は実は家政婦だったという個人的な動機になってしまったので、序列の無意味さを描くのには成功していたけど、物語としては小さくなってしまったように思って残念だった。
本当の奥様は立候補せず他薦を当たり前のように待つし、こんな汚れるところには来ない、ということなのかもしれない。
リジーの過去の納得感
後半に明かされる主人公リジーの秘密。過去に貴族に犯され、子供を売ったというもの。理性的で信頼のおける助産師という像が崩れて、子供を売った非情な女として信頼を失う場面。
この主人公の背景の部分もすごく納得感があると思った箇所の1つだ。
村の女性の面倒を見てきた、夫に先立たれたというだけではなく、性被害にあって出産という取り返しをつけられない事態を引き起こさざるを得なかった、その個人的な動機がそこまで強い主張と行動をもたらすのだと思ったので。
一方で、前述の家政婦だった件と相まって、みんな感情的に叫び合っているだけの後半戦になってしまったように見えたので、結局女なんてこんなものでは?と受け取られてしまいかねない芝居かもしれん・・・と複雑な思いがした。
リジーが最後、娘(これは未来の女性たちだと受け取った)に手をかけてしまうことと言い、女の団結の難しさを克明に描きつつ、シスターフッドに希望をもたらすような展開ではなかったように思える。
決めるのは妊娠しているかどうか
あんなに話し合ったのに、決を取るのは罪の多寡ではなく、妊娠しているかどうか(女固有の問題に関することのみ)という皮肉も大変好きなところだった。
しかも、物的証拠があっても決断できず、男性の権威を頼ってやっと決定するのだ。辛い。
その他、子供を産んだきり口を聞けなくなった女、ホルモンに振り回される体、そしてホルモンに影響を受け感情的で合理性に欠けるというレッテル、性欲のコントロール、DV女性の生活補償など、各エピソードがそれぞれすごく「それな」感があるもので、しかも全員が家事と子育てに追われて時間が無い、というキャラクターとエピソードがとても上手い脚本だなぁと思った。
最後、壁が迫ってくる演出は、とても面白かった。空が堕ちてくるファンタジックな感じがして個人的には好きだったが、物語の本筋からの必要性がどこまであったのかな、とも思った。
この頃バタバタしていて、この作品をテーマにしたスペースの会を複数聞き逃したのが惜しくてならぬ。