どもどもです。昨年12月に見たシラノ・ド・ベルジュラックの感想を残しておきたい。
ちなみにこちら、昨年の1月にロンドン現地で観た作品。オススメしていただいて観たのだが、ローレンス・オリヴィエ賞でリバイバル演劇作品賞を獲得し、そして日本で再度字幕付きで映画館鑑賞を味わうという忘れられない体験となった。アドバイスありがとうございます。。。
わかる!わかるぞ!!
こんなこと言ってたんだ!字幕ありがとうございます!カルチャヴィル様と翻訳柏木様!!となった。
特に現地ではシラノが登場するまでの時間は、あまりヒアリングもできずに何が起こっているのかイマイチ自信が無い時間が続いていたのだが、日本語字幕があっても自由表現でむむ・・・?となったので、確かにこれは英語だと尚更分からなかっただろうなぁ。
マカヴォイ・ドアップ
こう全客席がマカヴォイスに抱かれる演出だと思うのだが、シネマだとドアップなんすね!囁いている間中ずっと全画面ヴォイする思い切ったカット割だった。
劇場だと耳にささやきダイレクトのエロス演出だったので感じ方が違うように思った。
壁に文字を書いている人の解釈
冒頭シーンは途中からずっと文字を書いている人がいる。模様だったものが「I love words that’s all.(私は言葉を愛する、ただそれだけ)」という飾り文字になって、シラノのストーリーが本格展開していく演出になっていた。
確か現地でもフレーズが完成すると、全編シラノ没入完了!だなと思ったが、なんでそこにロクサーヌ座ってるのか?ふに落ちないままに鑑賞が進んでいったように思う。(英語を聞き取るのに必死で解釈どころでは無かった。)
今回改めて、「言葉を愛すただそれだけ」の下にロクサーヌ本人が座っていることで、ロクサーヌに対してのシラノの発言にも読み取れるし、ロクサーヌがいるのにただ言葉を愛するだけだと強がるシラノの頭の中にも読み取れるし、この物語を集約しているような風景が広がるように見えて面白かった。
終盤のロクサーヌとシラノの間に、死んだはずのクリスチャンが座っている終盤の演出もそうだけど、進行しているストーリーとは別のものを配置して画面に意図を持たせるような形が面白いなぁと思った。
ラップ
ラップ!詩の表現部分を、ラップに変えて。コテコテのラブストーリーに大して観客が置いてきぼりにならないように、しばしばメタ的な表現で茶々を入れたり、とカラーブラインドキャスティングだし、最先端感!て感じをビシバシと受けた。
そこから元のストーリーの良さがグッとというか、才能はあるのに欠けている男の孤独と、愛と、彼の魅力が滲むような作品としての面白さがあるのだと思った。
マカヴォイ自身が身長小さめだったりして完璧イケ面じゃないけど、すごくオーラがあってトータルカッコいいなのでハマるんだなぁと。鼻全然普通だったけど。
月の話
現地では細かい部分が全然聞き取れていなかったので、今回の字幕でシラノが月の話をしているのを把握した。
全編を通して言及は無いが、こんな鼻でなかったら君に求愛できたのに、というシラノの自身の無さと悔しさが滲み出ている例え話で、ジーンとしたのだった。
現地行ったのだよなぁ・・・
余談だが、開始のレポーターがいるのはまさに劇場入り口!
テムズ川沿いのちょっと暗めのこの通りに行ったんだよなぁと涙が出そうになった。
感激というか、自分本当に行ったんや…みたいな…
海外観劇勢からすると当たり前なのかもだけど、わたしにとってはやっぱり海外で観劇するというのがとても特別なことでここ数年のアイデンティティだったので、どんなに苦しくても特別な自分であれたというか、なにが言いたいかというと、コロナ…!!コロナー!!
また遠征するんだ。その時まで、できる行動をしたい。