演劇「消えていくなら朝」@新国デジタルシアター

desk

年末年始限定で配信されていた新国立劇場のアーカイブ作品。作:蓬莱竜太、演出:宮田慶子。

見た当時近しい親族に心配事が起こっており、心理的に限界に近い状態で観たため、また別のタイミングで見たら全然違う感想になっただろうなと思った。感想を残しておきたい。

◆作品ページはこちら

あらすじ
家族と疎遠の作家である定男は、五年ぶりに帰省する。作家として成功をおさめている定男であったが、誰もその話に触れようとしない。むしろその話を避けている。家族は定男の仕事に良い印象を持っていないのだ。定男は切り出す。

「……今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」

家族とは、仕事とは、表現とは、人生とは、愛とは、幸福とは、親とは、子とは、様々な議論の火ぶたが切って落とされた。 本音をぶつけあった先、その家族に何が起こるのか。
何が残るのか。(新国立劇場ウェブサイトより)

入りの地獄み

主人公定男が帰省すると、椅子でうたた寝をしている父親。

この冒頭だけでも見てよかったなと思った(早い。
歳を重ねるごとに無気力になる親の姿と、それを目の当たりにするもの悲しさが舞台上に表現されていて、こういうディティールを追求した舞台に弱い。

いたたまれない度マックスハート

座る位置からして、定男プラス定男の彼女 vs 母・父・兄・妹の位置関係。そこから定男についてや、家族それぞれにフォーカスした告白・告発がそれぞれからなされることで舞台は進んでいく。

観客としては枠外にいる定男の彼女視点にならざるを得ないので、終始居心地の悪さというか、すぐにこの家から帰りたい・・・!という切なる願いを持っての観劇となった。
(家から見ているのに、ずっと帰りたい気持ちの新感覚観劇)

宗教じゃなきゃいいのか

特に、母が信奉する宗教と、長男を巻き込んだ布教活動の話はアクが強め。
ただ、ここまでの信仰でなくとも、母親が信奉しているものに子供が影響を受けて、その価値観から脱出・自立するのに年月を要する・・というのメタファーだと受け取った。

私自身が長子なので期待に沿う、教えの中にはめ込まれたり家族のイベントごと真面目にしなきゃいけない長男の辛みみたいなの、ちょいとした共感が持てた。

真面目に取り組む割には、美味しいハイライトを下の子に持っていかれる損な役回りというか(主観。

後半はつらみ遊戯王

後半はうっすら見えていた各個人の辛さといやらしさが露出し、それぞれの家族への直接的な言葉となっていく。

つらみ遊戯王みたいな、ターン制。俺のターンだ!あの時はこう思っていて、心底嫌だった!が積み重なっていく。

なんか健全・・・?

しかし、ここまで思っていることを言い合えたら、結構健全な家族なのでは?とうっすら思ってしまった。
一応、皆相手の言葉を聞く耳を持っているし、両親は現状自立して干渉少なそうだし、子供たちも客観的に自分を説明できている。

お金が絡んでないから健全に見えるのかもなと思った(下品な感想)。家族問題は相続や行く末の世話、貢献時間も含めたもっと物理的な歪みと愛情が絡み合うのでエグくなっていくと思うので・・・。

意外に優しい作品

脚本家と演出家の優しさなのか、予想以上に追い詰められない穏やかな作品仕上がりだったので、終始楽しく観られて、精神崩壊するかと心配していたがほっとした。
また、毒は作家本人が1番強かったので、書いた本人の品の良さを感じた。

人生の時間をどれくらい割くのか?

愛情とは極論、人生・生活の円グラフのうちどれくらいをそこに割り当てるのか?という問題に行き着くと思っている。

また、あなたの愛は私が欲しい形では無いし、あなたが欲しい愛は私は絶対に用意できないというのが、家族の辛みの大いなるところだなと最近しみじみ思う。

ガラスの動物園や橋からの眺めのような、血肉をえぐられるダメージを想定して、心にカチカチガードを張ったせいか、配信というワンクッションが入ったせいか、割とすんなりと観劇が済んで、そして良作が観られてほっとしたのだった。

えぐい家族劇は楽しいけど、心のダメージも大きいので。