どもどもケイです。ブログの更新が・・・すごく・・・空いた・・・。
なんとか途切れないようにしたいなぁとは思っているのだが中々ままならない。心身ともに調子を崩すと、まず体を整えて、そして心を整えてと、数ヶ月スパンで時間を要するよね。
作品を観て、そして感想を書いてというのがとても気力と体力が必要なのだなぁということを今回改めて感じた。
Youtube無料配信プロジェクト「STAGE BEYOND BORDERS」
EPAD(緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業)実行委員会の協力のもと、国際交流基金が主催する日本の舞台の配信プロジェクトが「STAGE BEYOND BORDERS」。外国語字幕をつけて、youtubeにて舞台映像を期間限定配信している。
ままごと「わが星」
その中でも、ままごと「わが星」が配信開始した!!ということで、早速友人に付き合ってもらって視聴したのだった。
https://youtu.be/Utk1wV0FPMc
映像やアングルも的確で、音声も役者各位がマイクを使用しており、小劇場演劇としてはハイクオリティの映像だったので、すごくすごく良かった。
ほんと、おすすめである。
▷STAGE BEYOND BORDERS 第2弾配信リスト
▷【参考】STAGE BEYOND BORDERS 第1弾配信リスト(終了済み)
他に観たいと思っている作品
小野寺修二×首藤康之 空白に落ちた男(2021/11/20〜)
城山羊の会 自己紹介読本(2021/12/20〜)
有限会社石井光三オフィス ミュージカル HEADS UP!(2022/3/20〜)
去年の補正予算が繰り越されて、巡り巡ってこのような形で結実していると思われる。関係者の努力にありがたくて涙が出そうである。今年は、選挙が終わるまで新型コロナの国難であっても臨時国会を開かなかったことを末代まで恨む所存。これから湯水のように配られる(そして結果、年度末で切られてしまう無茶な申請が必要な)補助金も、絶対政権からのお恵みだなんて思わないからな・・・!
百聞は一見に如かずの演劇
2009年初演。2010年に第54回岸田戯曲賞を受賞した柴幸男。ソーントン・ワイルダーの戯曲『わが町』を下敷きに、家族と惑星の運行を重ねて、リズムにセリフを乗せて描き出すノスタルジックなストーリー。
百聞は一見に如かずを体現したかのようなあらすじである。すごく布教したいのに、まず見て!としか言えないもどかしさ。
ミクロとマクロのコントラストにめまい
46億年と、少女の人生の1場面が重なって流れていく。銀河の運行が家族の花一匁になり、一瞬の後に茶の間の団欒になり、ほんの数秒後には超新星爆発が起こりーー。
サイズと時間のズームインとズームアウトを繰り返すので、頭がフンガフンガフンガと縦揺れしそうなのは私だけではないはずだ。
高速移動をものすごい回数繰り返していくジェットコースター感。照明とリズムと、そして役者だけで人はこんな感覚を呼び起こせるのだ!という、小劇場演劇のまさに演劇ならではの面白さが結集している作品だと思う。
ちょうど、この配信の2015年の再演を三鷹に観に行ったのだが、役者とゼロ距離に近い状態で銀河と団地の中にいるような、没入感のある舞台だった。(銀河と団地にいるようなって、そんなセリフ今後も使わないだろうな・・・)
繰り返すが、映像と音声の収録のレベルが高いので、例えYoutubeであっても集中して観ればこの作品独特の4DX感は楽しめると思う。
郷愁に涙じわり
6年の年月を経て、すごく切ない思いが込み上げた観劇になった。
月ちゃんとのストーリーパートが好きなのだが、その辺で懐かしさというか、大切な物に触れているような嘆息が込み上げてきた。
月ちゃんがミラーボールを掲げた箇所は、現地観劇の当時全編でも1番心に残っていた所だった。映像だと距離感がわかりづらいが、劇場の最奥から巨大なミラーボールを掲げた月ちゃんが突如登場する。遥かなるシーンだ。
離れてしまった2人の距離とは裏腹に、思い出の詰まったミラーボールは大きくなっている。
当時はミラーボールの大きさに面白さを感じたけど、今はその輝きが大きくなっている意味がスッと理解できた。
友情に関わらず、人生と人との繋がりは不可逆なものだけど、失われたとしてもそれまでの幸せな時間ごと消滅する訳ではないのだ。
むしろ当時の幸福は、時が経つほどキラキラと輝くものなのだろう。眩しい記憶だけではなく、忌まわしい体験や厳重に封をしたい傷も、遠くへと連れて行ってくれるのが時の流れなのだろう。
と、ミュージカル「メリリー・ウィー・ロール・アロング」を観たときに思ったことを今回もしみじみ思ったのだった。
山のあなたの空遠く
山のあなたのなおとおく、幸い住むとひとのいうーー
20年前の青年がちーちゃんに会いに行く設定は、設定スキー垂涎というか。
目の前にいるのに会えない、時空を超えて旅をしてちーちゃんに会いに行く。うーん、良い。
銀河を超えて、時を駆けて、青年は最後ちーちゃんの目の前へ現れる。
ちーちゃんが何を示すのか?は見る人によると思うけど、尋ねても辿り着けない幸せへ到着できるのは、物語の優しさだよなといつも思う。そこに胸がいっぱいになってしまう。寂しさのはてなむ国が舞台上に表現されている気がして。
生きることは死ぬこと
しかもちーちゃんはもうすぐ終わりなのだ。まだ少女のちーちゃんのあまりにも短い終わり。生を見つめようとすればするほど、死が迫るのだと今回の観劇では思った。
初回はラストの「ハッピー・デース・デイ」に違和感を覚えたけど、今回はまぁそうだよねと納得感があった。これは、Youtubeで一歩引いて見ていることも要因としてあると思う。
一緒に観てもらった友人は、この話の終末感をもっと迫って感じたようだった。「地球が終わる日も日常に突然訪れるのかな・・・」というのは彼女のコメントだが(オンラインで同時視聴しながら、ラインでチャットしている)、ちーちゃんを地球として捉えたなんと豊かな感性だろうと思った。
そしてその後のシーンで、消滅の恐怖、その先に見える希望の不思議な感じがしたとも言っていた。
考察しがいがある作品は、感想戦も燃える。
反復と想像力
最初は意味不明だった単語のリズム羅列だったのに、物語が反復されてパーツが重なるにつれてどんどんと舞台上に現れてくるのが、もう1つの面白さだろう。
時報を模したピアノの音色とともに、電気とちゃぶ台だけで繰り広げられる話。なんで狭い団地の居間に見えるのだろうと目をこすりたくなった。
全く何もない空間に物語が立ち現れてきた姿を目撃したこと、加えて懐かしいストーリーと相まって、終わってからしばらく涙目になるような高揚感があった。
感動した!とストレートにいうのは躊躇われる、しんみりと大事にしまっておきたい気持ちになったのだ。
「ファンファーレ」
私に小劇場作品の面白さを教えてくれたのが、脚本・演出柴幸男(ままごと)、音楽三浦康嗣(口ロロ)、白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)というわが星と同じ布陣の2014年の音楽劇「ファンファーレ」だった。
舞台からぶつかってくるエネルギーに圧倒されて、こんな世界があったのかと呆気に取られたのを覚えている。
今回のラップのように、ファとレしか歌えない少女ファーレの音と、他のメンバーの音が重なって最後には1つの曲になる祝祭の音楽劇。
動画収録か、願わくばいつか再演を観たいなぁ、とわが星を観ながら思ったのだった。