ナショナル・シアター・ライブ「アマデウス」@コレド室町

どもどもケイです。今日は4時間で4本の記事更新を目指しています。やっと4本目・・・!4時間余裕で超えているけど、ファイトだ!

今回は、直近で観て感想を書きたいと思っていた「アマデウス」を!
シンポジウムを聴講したし改めて残しておこうと思う。作品に満ちた音楽への敬意と、テーマである「才能」にずっと涙ぐみながら観ることになった。

ナショナルシアター「アマデウス」


天才モーツァルトの存在に苦悩する凡人サリエリを描いた作品。1981年にトニー賞で最優秀作品賞を受賞したピーター・シェーファーの戯曲、1984年の映画が有名だ。今回はマイケル・ロングハーストによる新演出版だ。本プロダクションの一番の特徴は、オーケストラのメンバーを舞台上の登場人物として取り扱っていること。
場面によっては、舞台の一部が下がってオーケストラピットになったり、非常に豪華だった。下記動画でもその雰囲気が伝わると思う。

有名オペラのメイキングヒストリー的な楽しみ

万年初心者ながらオペラも好きなので、オペラ上演があるのも楽しかった。
イドメネオ、後宮からの逃走、フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛などが出来る過程がドラマで語られていく。
フィガロの結婚や魔笛など、実際の上演もありテンション爆上がりなんですが!夜の女王のアリアを歌いこなせるようなレベルの高いオペラ歌手も出演しており、これだけの出番のためにこんなハイレベルな歌手揃えちゃうんすかー!?という感動に襲われた。

ドン・ジョバンニやコジ、フィガロの結婚は実際に見たことがあったので、メイキング秘話を聞くようなワクワク感があった。敬遠している魔笛と向き合わなければならない日が来ているのかな・・・。

▼メトロポリタンオペラのライブビューイングの感想はこちら
フィガロの結婚

イタリアオペラは理髪師の話しかしていない(フィガロの結婚は、イタリアオペラ「セビリアの理髪師」の続編)など、オペラジョークが出て来てクスクス笑ったし、どさくさに紛れてイタリア人をこき下ろすことを忘れない姿勢に、そういうとこだぞと思った。

ちなみにニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオペラライブビューイング、夏にアンコール上演をするので気になる作品がある方はぜひ。

音楽への愛に満ちた作品

一番心を打ったのは、フィガロの結婚の結末をモーツァルトが思いつくシーン。フィガロの結婚のラストシーン、伯爵夫人と女中スザンナの入れ替わりをバラして伯爵があっけに取られて怒涛の大円団を迎える部分をモチーフにセリフが展開されていく。

宮廷音楽家などの舞台上の人物があっけに取られているところに、モーツァルトがそれぞれが思惑を抱えて歌声にのせ、それが調和になるんだと主張していたシーンでじーんと来た。
オペラが好きな人の気持ちが凝縮されているなと思ったからだ。オペラに止まらず、舞台にはどこか自分の居場所があるようなそんな救いがある気持ちを代弁してくれているシーンだと感じた。

サリエリおじさんの苦悩

サリエリ役のルシアン・ムサマティを味わう演劇のようだった。傲慢で、どこか生真面目で愛おしいサリエリが舞台上に出現していた。特にコンスタンツェから田舎出身と言われてしまうシーンが印象に残った。どんなに偉くなったって、権力を持ったって、都市出身の洒脱な人々に対するコンプレックスが消えない彼の生涯が象徴されている気がした。

ラストはサリエリ自身から凡人である我々を許す、という言葉で締めくくられていた。観終わった後、サリエリおじさんから許されたなう!と心のツイッターで呟いたことを報告しておく。
ストーリーとテーマ、キャラ造形、演技、演出が完璧すぎて、ディズニーの「ズートピア」を観ている時と同じ感覚がした。すごすぎて!非の打ち所が!ねぇ! tohoシネマズコレド室町の1日2回上演の快挙も納得だし、筆者は日曜日の昼間に見たがほぼ満席だった。

神との対話

興味深かったのはサリエリの神への恨みだ。モーツァルトに嫉妬し、彼の才能を理解する耳を持つ自分を嘆く1幕最後のシーン。
モーツァルトを妬むからモーツァルトを攻撃するのではなく、モーツァルトへ才能を与えた神への冒涜としてモーツァルトを破滅させようと誓うのだ。この行動論理がキリスト教徒の方に当てはまるものなのかわからないが、自分と神しかいない世界観なのが印象的だった。
衣装の可愛さなど語り足りないが、この辺で!