どもどもケイです。最近暑いので、クーラーをつけっぱなしにしてヒンヤリ眠ることに至上の喜びを見出している。
メトロポリタンオペラ・ヘンデル「アグリッピーナ」を見たので、感想を残しておきたい。
ちなみにこの作品、松竹「METライブビューイング」にて7/3~7/9まで放映されていた今年の新作!
▼日替わりで作品を放映しているメトロポリタンオペラのページ
Nightly Met Opera Streams
▼「アグリッピーナ」の日本でのライブビューイングページ
松竹「METライブビューイング」
アグリッピーナのつらみ
策謀を巡らす悪女アグリッピーナが主人公なのだが、演出としてややボンクラ気味の男性陣と、権力を望みながら叶わないアグリッピーナという対比で描かれていた。
皇帝や将軍が崇拝を集めるシーンでは、アグリッピーナは心外そうにお酒をラッパ飲みしていたり、上品に手を振るアグリッピーナの前にかぶるように出てきた皇帝が意味不明な決めポーズをきめたり。
女性=主役になれない添え物、飾り、の意図を明確にした演出だったので、彼女のつらみがズーンと伝わってきて、見ていて心がざらざらするようなしんどさがあった。
現実でもよく見る構図を舞台でもまざまざと見せつけられたので・・・。
ニューヨークの現地2020年2月29日の新制作なので、普通に悪女を演出するのでは許されない世情の中、ここまでテーマを掘り下げて明確に描く演出に痺れた。
玉座を意味するもの
演出の要となるのは、数メートルの高さになる黄金の玉座。
玉座を巡った権謀術数のドラマなのだが、文字通り玉座とその高みに座る栄光が、舞台にしては異様な高さの椅子と階段により可視化されているのが非常に面白かった。
皇帝クラウディオが座り、息子ネローネが座った玉座に、アグリッピーナは途中まで登ってしなだれかかって遊んでも、頂点には座らない。
最初と最後は、各人の墓とそこから出てきて、また戻っていく登場人物たちというメタ感のある演出なのだが、墓に横たわる前に(それまで息子に帝位を与えられて幸せそうだった)アグリッピーナが悲壮の表情で、顔に手を覆う形で、死んでいく。
ここからは観ている側の解釈だけど、多分彼女が感じだ死際の虚しさ、慟哭は、手に入れたものが本当に欲しいものではなかったからなのではないかなと感じた。
添え物の人生で満たされることはなかったのだろう。現代演出なので、当然なのだが、古代ローマで起こったことがそのまま現代を写していて解決しない辛い観劇だった。
墓石だって1番小さいのだ。自分では何もしていない息子の大きな墓(息子は満足そうに永眠)の隣に小さな墓として眠るのだ。つら。
悪女って、誰から見た「悪」なんだろうね、という問を真っ向から描ききった演出を見て、大変満足だったのでした。
クレイジーな息子
ネローネ役のケイト・リンジーが最高。最初からいっちゃっているし、最後の見せ場の歌ではもはや薬を吸って、文字通り狂ってしまっている。
狂乱の歌は、狂乱のままに、というか、、、終始言動が隙なくやばいのだけど、ルックスと歌声はとても端正で王子様なので、そのギャップが大変美味しゅうございました。
イザベル・レナード様に続き、なんかとても好きなズボン役を発見した・・・!!
アグリッピーナと対に描かれているポッペアを演じるブレンダ・レイの可愛さとコロラトゥーラの両立?も凄かったし、結構お茶目な演出だったけど、陳腐にならない役者の技量の高さと、1709年の作品をこれでもかと工夫して退屈しない展開にした製作陣の演出など、たくさんの感想がなかなか全て書き出せていないがこの辺で!
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