どもどもアイスコーヒーを愛飲しているケイです。
ナショナルシアター・ライブで今年から始まりました!アンコール!
各作品1週間しか上演していないナショナルシアターライブ。過去の人気作品を期間限定で再度上演してくれるという素晴らしさが詰まっている企画です!
どどっと一気ににアンコール夏祭り!@シネ・リーブル池袋♪
チラシがシネ・リーブル池袋に納品されています!
どれも見たい傑作!何度も見たくなる最高の舞台!ぜひこの夏はNTLive三昧で! pic.twitter.com/wkWYk0v63s— ナショナル・シアター・ライブ (@ntlivejapan) July 9, 2018
シネリーブル様ありがとうございます!!(露骨なアピール。なお、アンコールは契約関係もあるので、再演は約束できないものもあるとのことなので、ぜひ少しでも足を運びたいところだ。
▽ナショナルシアターライブの裏話を聞いてきた話はこちら
夜中に犬に起きた奇妙な事件
War HorseやAngels in Americaのマリアン・エリオット演出であり、2013年度ローレンス・オリヴィエ賞、2015年のトニー賞作品賞等を受賞している。ずっと見たいなと思っていた作品だったので、シネリーブル様ありがとうございます(2回目。
Take a listen to Marianne Elliot, director of The Curious Incident of the Dog in the Night-Time, on Desert Island Discs: https://t.co/IZ6nINziEJ
— Curious on Stage (@curiousonstage) August 2, 2018
なおシンポジウム時に聞いた話だと今回の収録は、初演の四方を観客が取り囲むverで、ブロードウェイなどの現在の上演形式とは異なる貴重な映像とのことだった。
劇中劇というメタ視点の演劇
1人称の小説を、観客が観る圧倒的な3人称の舞台でどう表現するのか?とても工夫を凝らした舞台だった。
ミステリーだと1人称の小説は叙述トリックを疑え!というセオリーがあるほど、1人称は偏った表現ができる表現様式だ。
主人公が見ていないものは見えないし、主人公が思っていることが全てになる。原作は未読だが、恐らくこの主人公と同調する1人称の特性を生かして自閉症の世界観を表現しているのだと思う。
この作品はクリストファーの小説を実際の登場人物たちが演じるという形式を取っている。
両親のキャラクターがやや浅かったり、先生のモノローグが説明的で多かったりする不自然さがカバーされ、見えてない行間に思いを馳せることができる不思議な構成に引き込まれた。
だって、逆上して犬を殺してしまうような父親や、斜向かいの男性とダブル不倫する母親が、劇中にあるような愛情一辺倒だとは思えないのだ。きっと迷い、恨み、戸惑い、汚い感情やクリストファーへの悪感情などもっとないまぜになっているはずだ。
これはクリストファーから見た両親像なんだな、と観客がちゃんと感じられる作りになっているので、逆にすごく闇が深い…みたいな。
苦しい現実をそのままぶつけない絶妙なファンタジー感があり、ポップな作品だった。
The Curious Incident of the Dog in the Night-Time: A Novel (Vintage Contemporaries)
ここら辺は原作も確認してみたい。
自閉症の世界観の演出
もう一つは、全て論理的で感情の類推が一切できないクリストファーの世界観の表現についてだ。劇中ではプロジェクションマッピングや足元のライト、電子音、人力によるスローモーションなどテクニックが多用されていた。
マリアン・エリオット演出の真骨頂なのだろう。
また前半のお話が組み上がるに連れて、クリストファーの模型線路が完成に近づき、1幕最後の物語の転じるシーンで汽車が走り出すところはかっこよさに鼻血が出そうだった。ツイッターの諸先輩方の感想を拝読していると、このタイミングで2階席の手すりも列車が走って行ったり、素数の座席にはカードが置いてあったりと遊び心溢れる演出だったようだ。
線路については、平和なやりとりの時は街を作っていて、耳障りだったり耐えられないシーンでは線路を伸ばしていたのもの印象的だった。たとえ理解できていなくても、環境によってコミュニケーションを構築できるのか逃避するのか?の表現に見えた。
人間と動物の表現
もう一つ印象的だったのが、人間と動物の扱いだった。
家具は人間がパントマイムで表現していたし、駅ですれ違う人は家具のようにクリストファーにまとわりついていた。一方でネズミも犬も本物を使う演出だった。
クリストファーにとっては、人間と物は区別がつかないほど無機質で、動物は単純で言葉も無いのでずっと親しみを持てる対象なのを描いているのだと思った。
また、父親から逃げるシーンはそんなに?と思ったが、自分が仲間だと思っている犬を殺したなら、危機感を感じたのだろう。最後父親が犬を贈るシーンでそれに気がついた。
しかもさ、お父さん絶対犬苦手じゃん。それを息子が好きだからって理解して、プレゼントするのがさ、また泣けるんだよ(誰だよ。
クリストファーは愛情を抱くのか?
クリストファーがロンドンまで行けたのは、両親の教えがあったからなのだよなということに気がついて涙腺が決壊した。
母親の「赤い点線を思い浮かべて、右左右左とその上を足を出していく」というフレーズが音声で再生されたり、父親が現れて「周りをよく観察してリズムをつかむんだ」という助言をもとに電車に乗ることができたり…。
2人がクリストファーのために、かけた愛情と試行錯誤は彼を救っているし、クリストファーは愛情表現を一切しないけど2人の言葉は絶対なんだよね。
なんというか、愛情ってポジティブな心の交流だけを指すのじゃなくて、かけた手間とか寄せている信頼とか、意識しているよりももっと大きいのかも?とふと浮かんできて泣けたinロンドンまでのシーン。
それも圧巻の演出があってからこそなのだよな。
触れられない手とつけない嘘
自閉症の主人公のキャラクターを設定と見るのはあまりにもモラルが無いかもしれないが、「触れられない」「嘘をつけない」というクリストファーの制限が物語に切なさをもたらしていて、設定スキーの全私が悶えた。
父親がクリストファーのためについた嘘が物語の起点になり、ロンドンまでボロボロになって来たクリストファーを母親は抱きしめられない…切ない。
最後は涙
僕は冒険をした。勇敢だった。だからこれからも大丈夫だと思うという終わり方だった。きっちり伏線を回収して、ニッコリマークを描いて終わる。涙が溢れた。主人公に感情移入しづらいのでDear Evan Hansenのようなダメージは無いものの(なんでもDEH換算する人、もう堪えきれずボロボロと泣いた。
自閉症への理解が深まる作品ながら、それに止まらず世界とうまくやっていけないと思う気持ちを明るくさせてくれる作品だったと思う。そのほかへもホームズへのオマージュやら(ハドソン夫人!、触れたいことはあるがこの辺で!