Le Père 父@東京芸術劇場シアターイースト

どもどもケイです。最近ライブビューイングばかりエンジョイしていたので、久しぶりのストプレだった「父」の感想を残しておきたい。そうは言ってもやっぱり舞台って、生で見るのが1番興奮するなと思ったのだった。

Le Père 父

タイトルにもあるようにフランスが原作の本作品、認知症の父をテーマにしているがコメディ仕立てなので、観劇自体はヘビーな感じではない。いや、超高齢化社会になる日本を考えると絶望しか襲ってこないけど、劇自体は楽しい。

フランスの気鋭の演出家・ラディスラス・ショラーによって2012年にパリで初演された本作「Le Père 父」は、2014年にはフランス最高位の演劇賞・モリエール賞最優秀脚本賞のほか様々な賞を受賞した注目作です。英語版に翻訳された後には、ウエスト・エンド、ブロードウェイのほか世界30カ国以上で上演され、トニー賞、ローレンス・オリビエ賞の主演男優賞など各国の主要な賞を受賞しています。公式サイトより

以下めちゃめちゃネタバレしているので、気になる方はぜひ現地で見ていただきたい作品だった。

観客が認知症の父に感情移入できる!

とにかく本作品が素晴らしいのはこの点だろう。時間軸が行ったり来たり、娘だと言い張るそっくりさんが登場したり、突然知らない人が家にいたり、家の間取りが突然変わっていたり、娘の言っていることが一貫しなかったり・・・

な、なんで!?だれ!?ん??さっきと違うぞ!?

筆者自身は認知症に詳しいわけではないので、諸症状を知っているのみだが、確かにこれは混乱するししんどいわ〜としみじみしてしまった。

拡張現実型の舞台

父視点に寄り添った劇構成になっているため、自分たちも認知症の追体験ができるようになっていたのだった。劇場を疑似環境の装置にして、異なる立場の人を理解するような演出方法。仕事で行けなかったため未だに恨みに思っているテロ」や劇団チョコレートケーキ「熱狂」、ナショナルシアターライブ「イェルマ」と同じような匂いを感じたのだった(まさかの社会派演劇をひとまとめで語る。

演劇ってこんなこともできるんだなぁ。そして計算し尽くされた舞台って筆者の好みど真ん中なので、はぁはぁと息が荒くなってしまった。逆算して絡み合って、時間をかけてワークショップなどを経ながら製作された脚本なんだろうなぁと思った。

橋爪功さんに乾杯!

「認知症の父が症状を自覚できていない中で経験すること」に観客が寄り添うため、劇の出来不出来が父役で決まってしまうような単焦点舞台。

橋爪さん、認知症のパッパにしか見えないんですけどーーーー!!!!!

所々アドリブも入っているのか、舞台上の共演者も笑いをこらえているシーンがあった。はたから見ているとファニーだけど、当人たちは出口の無い辛さ・・・明るくて楽しいだけに、語られない辛みがひたひたと押し寄せるような舞台だった。

記憶の光の効果

今回特徴的だったのは照明だった。父の思考に従って、シーンがぶちぶちと尻切れになるのだが最後にパァッと不自然な光が入って暗転していた。この光なんぞ?と最初は思って見ていたが、シーンを追うにつれてフラッシュバックした記憶や、記憶は失っても感情は残像のように残ると言われている認知症患者の症状を目に見える形にしているのかな?と思った。

時計を探す父

筆者自身は、祖母が認知症なうなので、時計のくだりが切なかった。時間感覚が消滅して不安なため、常に腕時計をして周りに時間を確認していたのだ。
父と娘がなくなった希望の塊のような妹に会いたがったり、泣きながら母を求めたり。さみしいって言葉はどこにも無いが、父本人の孤独が提示されたラストだった。父本人は孤独でも娘には娘の人生があってどうしようもない。何の希望も無いラストに、少ししんみりしたのだった。